『グァラニー 〜時間がいっぱい』

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4月29日のマチネに見る。終演後、知人と話したりして、でぶ学講座を聞いて、夜はディープラッツに行った。

この作品については、5月5日に、フェスティバル関連企画の岸井さん、九龍ジョーさんと作・演出の神里雄大さんのトークで、作家自身の自作についての話や、出演者も交えた演出の様子についての話なども聞いている。というわけで、以下のレポートは、純粋な上演評にはならない。

舞台がはじまる前から、白いレースのドレスを着た女たちが舞台にいて、なんとも無国籍な感じの異国情緒みたいなものを振りまくように互いに微笑みかわしたりしながら、舞台の上をゆったりと行き交っている。

舞台が始まると、原色が華やかに溶け合うライトが照らし出す下で、ビートルズの曲にのって、舞台の後ろの方にドレスの女たちが一列に並んだかとおもうと、「セイヤ!」という掛け声にあわせて、女たちがきびきびと、精一杯の笑顔で、踊り始める。いったいこれはなんなんだ、と思った。

舞台の展開の中で、この踊りが、子供のころパラグアイに渡り、そこで育った男が見たダンスに該当するらしいことがわかるが、しかし、それにしても、「セイヤ!」という掛け声は、南米らしくない。

これは、ことさら日本的でキッチュなものを挿入することで、再現することに対して抵抗するかのようだ*1

舞台には、数脚の、ラウンジチェアのような、アンティックな椅子が置かれ、これも、どこか日本的でない雰囲気を醸し出している。

そのあと、唯一男性の演者が舞台の中央に腰掛けて作家自身を代弁すると思わせるようなことを、少し大時代的な大仰さで、語り始める。それは、一種の前口上なのだが、自らの過去の大切な経験を語り始めることへのためらいを戸惑いながら語るようなものだ。

…町田の喫茶店で仕事をサボりながら、パラグアイ時代のことを思い出して、感傷的になってしまっている…誰も関心を持ってもらえない話かもしれない…しかし聞いてほしい…

トークで作家自身が語ったことによると、このためらいは、実際、作家である神里さん自身のためらいであったらしい。「普段はなるべく本当ではないことだけを選ぶようにして作品を作っているのに、今回は、自分の身に起きたことばかりをそのまま舞台化することになった」と神里さんは語っていた。

たとえば、前半の主人公とも言える、作家自身を投影したような「はるお」がパラグアイ日本人学校に通っていたころのエピソードとして、サザンオールスターズの「チャコの海岸物語」を、パラグアイのチャコ地方に向かうバスの中でみんなで歌った、という話が出てくる。日本人学校なので、みんな日本のヒット曲を聞いていたり、親が持ってきた音楽に親しんでいたりするわけだ。

そこで、「チャコの海岸物語」がチャコ地方のチャコだと今まで思い込んでいたが、インターネットで題名を確認しようと調べたら、それが間違いだったと初めて知った、と語られる。このエピソードも全て実話だったそうだ。

神里さん自身、南米移民の日本人を父に持ち、南米生まれで、小学校高学年のときから日本(川崎)で暮らしたという経験を持っていて、そのバックグラウンドが作品にダイレクトに投影されている。

今回のフェスティバルに参加するにあたり、「キレなかった14才」というテーマを聞いたとき、どうしても自分自身のことを作品にしなければならないという選択に、たどり着いてしまった、と神里さんは語っている。ということは、今回のフェスティバルのテーマに対して、神里さんが作家として真摯に向き合ったが故の結果ということだろう。
中学生時代には、ペルー大使館人質事件の方が自分にとっては身近な事件だったが、それをクラスメイトに話したことは無かった、と神里さんは語っていた。

これはつまり、日本において「社会問題」が問題として語られるときに、暗黙のうちに前提にされている、社会や世代の同質性という通念に対して、抵抗しておかなければ、かつて語られた「社会問題」が自分にとっては問題と思えなかったという事実に向き合うことはできない、という、作家的な判断があったということなのだろう。
そして、この作品は、ひとつの事件が社会問題化されたとき日本において働いていた社会のあり方、事件そのもののを生み出したかもしれない何か、たとえば、「同調圧力」といった言葉が批判的に指し示そうとする日本社会の一面を、日本社会に溶け込もうと意識しなければならないからこそ、そこに超えがたい壁を感ぜずにはいられない、そういう立場から、見事に、浮き彫りにしているのである。

作品の後半では、パラグアイから日本の学校に転校してくる、日系移民を父に、日本からパラグアイに嫁いだ日本人を母にもつ女の子が、日本人の友達と仲良くしようとして、日常のなんということもない話題をしようとすればするほど、友達が気を使って話をあわせたり微妙な感覚の違いを説明したりしようとすればするほど、不自然さが際立ってしまい、関係がギクシャクしてしまうという場面が、幾分か誇張を伴ったコミカルな仕方で、しかし、やはり経験に裏打ちされた真実味を持って、演じられることになる。

この場面は、家に帰り、娘が母親に泣きつくシーンにつながるが、このシーンが作品全体のクライマックスになっていたように思う。それは、娘を励ます母親の長台詞で、何か差別されているように感じて、どんなにつらいと思っても、相手は無知なだけで悪気はないんだから、うわべを取り繕うこともいとわずに、相手にどんどん積極的に関わって、CDを借りてみたり、CDを借りるなら、家まで行って、家まで行ったら、食事も一緒にして、パラグアイのことも話してみたり、演技であっても涙を流すくらいにおいしいですってお礼を言って、積極的に大親友になるんだって、有無を言わせず薦める語りがまるで情景を描き出すような演技になっていて

わかったならもう一回友子ちゃんのところへ行きなさい。あなたにはこれからの可能性がいっぱい広がっているのだから。「時間がいっぱい」の時間も、いっぱいも、これから先にあるのだから*2

というお母さんの言葉に励まされて、もう一度友達のところに娘は向かう。このお母さんの演技が本当に熱演で、ストレートな台詞を切羽詰ったように客席に響かせているのがみごとだった。

そのシーンのあと、作家自身のことを思わせる、町田の喫茶店で書かれたという手紙が喫茶店の店員役の女優によって読み上げられる。…会社をさぼって休んだ開放感は、背伸びして友達と過ごした時のもの、忘れていたけど、確実に自分にあったこと…読み上げた手紙に女優が「蛇足かもしれないが自分の見解を加えたい」と注釈を加える

聞き逃すのも自由。進むも自由。留まるも自由。だけれどその道のりは、豊かで、溢れている

作家が投影された登場人物(はるお)は後半舞台から消えて、しかし手紙を残す。それは、作家自身からのメッセージのように舞台に届く。それに対して、舞台上の演者がコメントを加える。この、メタフィクション的な一種の入れ子構造は、舞台上でのあまりにダイレクトで誇張されたメッセージを現実から隔てるようにして、逆に着実に現実に結びつけているようにも見える。

前半、「はるお」の語りが、語られる内容と舞台上の現実のずれをことさら強調して見せる展開や、語るはるおがいる舞台上の現在を舞台にして、回想シーンがはじまる場面で、回想の中で過去に居るはずの現在よりも若い母親が、現在のはるおと直接話し始め、「若返ったからこれから遊びに行くわ」と現在の舞台に踏み出して退場したりするような、フィクションの約束事のなかで階層(レイヤー)が横滑りのようにずらされて、語られていた内容が舞台上に想定されている現在と入れ替わるというような展開も、一種のメタ演劇的な仕掛けなのだが、それによって語られていることがフィクションであることがことさらのように強調されることになっていて、それはまるで、語り方がどこまでもフィクションであることを明らかにすることで、むしろ語られている内容を現実に近づけ、現実に届かせようとしているみたいだ。
語りの回想の中で若返った母親が、作中の現在の中に歩み入り、舞台の外までも出かけてしまうように、ここでの演劇の装置は、作中のメッセージが現実の中に届くことを促す仕掛けのようになっている。

これは、メタ演劇的という点では回想と妄想が現在と交錯する『少年B』と同じ演劇的な仕掛けなのだが、『少年B』では客席を戯曲の中の僕へと同一化させることで、どこまでも自意識の中に閉じこもるのとは全く正反対の仕方で、客席のそれぞれの人を、裏返しのフィクションとして、舞台の上に引き込むのだ。

作中で、パラグアイの情景や、パラグアイへの旅が、映像であらわされるが、それは、冒頭のダンスシーンで身につけられていたドレスのそれぞれがひろげられ劇の冒頭で仮ごしらえされるスクリーンに映写されていた。
トークで梅山(九龍)さんも、触覚的な記憶と結びついたドレスに映像が映されるのは秀逸だと言っていたけれど、スクリーンの物質性を際立たせるレースは、映像がどこまでも映像に過ぎないことを明示していて、これは、杉原演出の『14歳の国』において用いられたモニターがどこまでも冷めた仕方で舞台上の現実を切り取っていた空々しさとは正反対の仕方で、イマジナリーな映像を舞台上の触覚的な現実の上に展開する仕掛けになっていたと言えるように思う。

『少年B』や杉原版『14歳の国』が演劇という装置によって社会の現実を忠実に反映して見せていたとするなら、『グァラニー 〜時間がいっぱい』は、批判的に現実を主題化し、現実に介入しようとしている点で、きわめて政治的であると言える。

作品のラストには、母親に励まされた娘が、積極的にパラグアイの飲み物を友達にすすめて、友達がこわごわと口にしてみると、少し戸惑いながらも、「おいしい」と言って、二人の関係が縮まっていくことを感じさせるような場面が挿入される。
再現的で、叙情的な、あまりにほほえましくも美しいシーンなのだが、舞台の中央で演じられるこの場面の背後に、他の演者たちが声援を送っている様子が演じられている。
これもまた、フィクションを見つめる観客の心情をあらかじめ代弁するような、そのことによって、観客が自分のエモーションをもまた検証しなくてはならなくなるような、メタ演劇的な仕掛けだ。
この場面は、母親の語りの中であらかじめ演じられているようなもので、内容的には演じられなくてもすでに伝わっているとも言える。

この場面について、作家は「パラグアイからの転校生がうまく打ち解けない様子を表すために、日本人の女の子がまるで悪役みたいな印象を与えてしまうことになってしまっていたが、本当はこの女の子は転校生を迎え入れようと努力している良い子なのだし、別に日本人を批判したいというわけでもないので、どこかでこの日本人の女の子によい印象を残して終わらせたかった、そのためにはこのシーンを加えるほか無かった」と語っていた。


母親の励ましに「演出」された娘の「友達を作る」という劇が成就する様子を示してみせる最後の場面は、いわば、劇の外に加えられた劇のようでもある。

母親の台詞が娘に演技を促したのは、母の演技が娘の演技をその語りの中に描いて見せていたからだ。だからこそ、演技を促すという演技によって、それぞれの観客の脳裏で、最後に加えられた場面はすでに演じられていたも同然なのだ。

いや、むしろ最後に加えられた場面は、この作品が促している「劇の外の劇」のひとつのサンプルなのだとも言える。この作品自体が、母親の台詞が娘に演技を促していたように、それぞれの観客に、それぞれの良き劇を演じることを促しているとも言えるのだから。

それこそが、この上演作品の政治的にきわめてポジティブな価値ではないかと思う。よそよそしく拒絶してくる現実を、演技を武器にして、味方にしてしまえばよいのだ、たとえそれがいかに大げさでわざとらしく見た目が忠実ではなかったとしても、と。

*1:実際、トークでも、神里さんは、ダンスの場面に違和感を挿入したかったという風に演出意図を語っていた

*2:引用は、りたーんずの雑誌に収録の戯曲から