『日本語が亡びるとき』を読む#1

日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で

日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で

第七章に気になる一節があるので長くなりますが引用します。まずこの一節の精読を試みてみたい。

 英語教育に時間とエネルギーをかければかけるほど、何かを疎かにせねばならない。
何を疎かにするか。
 文部科学省―そして日本人が今の見識を改めない限り、もちろん日本語教育である。いかに文部科学省が相も変わらず日本語を粗末に扱っているかは、「新学習指導要領案」にも明らかである。(略)中学校三年の授業の配分を見ると、英語は、当然のこととして、週三時間から四時間に増えている。数学も、社会も、週三時間から四時間に増えている。理科は週二時間から四時間に増えている。
 ところが、国語は週三時間のままなのである。
 数学を増やすのはわかるとして、なぜ、英語や社会や理科を週四時間に増やし、国語は週三時間のままでよいのか。国語の授業こそ五時間あってしかるべきではないか。ことに英語の世紀に入った今、そうあってしかるべきではないか。「英語公用語論」が論じられていたとき、反対派の一人の国語学者大野晋が、日本の中学校において日本語の授業が週三時間しかないのを嘆いていたのを思い出すが、一生を国語の研究に捧げた人間として、嘆いても嘆き足りない思いであっただろう。当時、大野晋が調べた限りにおいて、フランスの中学校ではフランス語は五時間、ドイツの小学校ではドイツ語は五時間教えられていると言う。私の知っている限りでも、アメリカの中学校では英語は週五時間教えられている。のみならず、アメリカ人に日本の中学校で日本語の授業が週三時間しかないのを告げると、かれらは絶句する。
 もちろん、文部科学省も、いくら「もっと英語を」と親が叫ぼうと、国語の授業を週三時間以下に減らすわけにはいかないであろう。<国語>は腐っても<国語>である。だが、国語の授業を音楽や美術や体育の授業のように、生徒たちの知的エネルギーをほとんどとらない、楽しい「お遊び」のような授業にしていくことはできる。<自分たちの言葉>である日本語など自然に学べるだろうと、文部科学省だけでなく日本人の多くも考えているから、国語の授業がいよいよそういうものになっていく可能性は充分にある。
日本語が亡びるとき―英語の世紀の中でpp.287-288

ここで使われている、以下の言葉「日本語教育」、「国語学者」、「国語の研究」、「日本語の授業」、「<国語>」、「国語の授業」、「<自分たちの言葉>である日本語」

それぞれの「日本語」「国語」は同じ意味だろうか。どのような仕方で使い分けがなされているのだろうか?「<国語>」と「国語」という表記の相違はなぜ生じているのか?
そこに何かこの本を読みとくヒントが隠れているのではないか。

まず、「<国語>」と「国語」の相違について。
著者が「<国語>」と、〈山括弧(アングルブラケット)〉*1で囲んでいるとき、その「<国語>」という語は「日本語」の通常の語彙に回収されない意味合いを帯びて用いられている。それがどこまで自覚的であるかは別として、著者が、独自の、ないし、特殊な定義を与えている場合に、山括弧に単語を挟んでいると想定できる。
山括弧に挟まれていない「国語」は、この文脈では、教科の名前として用いられている。国語と言えば、まず、教科書の表紙や時間割表に書かれる教科名なのだ。

「<国語>」は、単なる科目の名前としての「国語」とは別の、特別な意味合いが込められているからこそ、<国語>と表記される。しかし、<国語>と国語の間の差異は、<日本語>においてどう機能しているだろうか?ここに見られる表記の揺れのなかに、著者自身が用いる<日本語>が日本語の範囲に閉じていないことの現れではないか。ここで<国語>と国語の間に差異が生じるのは、議論が諸外国語との関わりに接続されていて、そこに、さまざまな言語ゲームの間のせめぎ合いが反映されてくるからだ。

さて、この場面で「日本語の授業」という言葉が登場する。これは、「国語の授業」と違うのか。それが指示する範囲は同じなのか。意味合いは同じなのか。

まず「アメリカ人に日本の中学校で日本語の授業が週三時間しかないのを告げると、かれらは絶句する。」という文面で「日本語の授業」という言葉が用いられた背景を次のように想定できる。

英語には、科目名として「国語」に直に該当する言葉がない。日本の「国語」に該当する教科名はEnglishだろう。そこで「国語」を「Japanese」に「翻訳」して伝達された文言が、間接話法的に振り返って語られるとき、「日本語」に「翻訳」された、ということだろう。
この文章の背後には英語による口頭のコミュニケーションがある。そして、近代の自国語教育をめぐる言語ゲームの微妙な相違に由来するディスコミュニケーションがある。

では、次の文言はどうだろう「国語学者大野晋が、日本の中学校において日本語の授業が週三時間しかないのを嘆いていたのを思い出す」
出典や参照元が明記されていないので、ここで「日本語の授業」という言葉が、大野自身の言葉なのかどうかわからない。国語の研究は、日本語の研究とは違うのか。

おそらく、「国際的」な比較がなされるときには、FrenchやGermanに該当する言葉として、Japaneseに該当する「日本語」と言う用語が要請されるのだろう。しかし、日本ではなぜかそれが「国語」と言い習わされてきた。その系譜を分析する仕事は何かあるだろうけれど、それを参照するまでもなく、教科名を「日本語」ではなく「国語」とする言語ゲームが、内向きに閉じたものであり、他言語とのかかわりを自国中心的に配置するものであることは、見て取れる。自国の言語だけは、国名を消去して、他の言語との国際的な関わりの外においてしまう。「日本語」、と言えば、他の言語の中のひとつとして、国際的な場のなかに開かれた用語になるだろうが、「国語」というレッテルは、世界に開かれた日本語研究とは別の、閉じた領域を名指すかのようだ。

水村美苗の書名は『国語が亡びるとき』ではなく、『日本語が亡びるとき』である必然性があった。しかし、その本の中で、「日本語教育」と「国語教育」との間の捩れは無くならない。何か捩れがあることが示されているだけだ。

たとえば、「『国語』という教科名を『日本語』に改める」という政策提言を考えてみることもできる。大蔵省を財務省に変えることに意味があった程度には、有意義な改革となるかもしれない。そのような提言がすでになされたことがあるのか、「国語」と「日本語」、「国文学」と「日本文学」「国史」と「日本史」といった差異を生んでいる言語ゲーム間の確執について、いままでどのような議論がなされてきたのか、私は不勉強にして知らない。

ともかく、この差異に、「国語」教育が克服すべきであり、それが構造的に克服できないまま据え置かれるであろう問題の所在が象徴されているように見える。この捩れは、日本語をめぐるさまざまな世界的な知的営為と日本における教育政策の立案と日本列島のあらゆる学校の実際の教育現場でおきている問題との間にあるだろう不幸なディスコミュニケーションを象徴するかのようだ。

水村美苗は、その問題に触れ、その問題をまさに生きながら、批評的に問題を精緻化することをせずに、素通りしてしまっているようだ。だから、水村美苗には、具体的な国語教育改革の提言ができない。水村美苗が言っていることは、「近代日本の小説の古典を読むための授業時間を増やすべきだ」という一文に要約できてしまう。

単に授業時間を増やしただけなら、昼寝時間が増えるだけかもしれないし、それだけじゃ実効性ある改革にならないでしょって簡単に突っ込めてしまうくらいの情けない提言しかできないし、なんたることか、そこで力尽きてしまっているのだ。そのことを考えて見なければならない。