日本語ができるイラク人

斉藤斎藤の短歌作品に、こういうのがあった。

 アメリカのイラク攻撃に賛成です。こころのじゅんびが今、できました

 短歌界(というか歌壇というか)では物議をかもしたらしく、『短歌ヴァーサス』誌で倫理的だか政治的だかの理由で認めがたいとかなんとか批判されているのを読んだこともあるが、そういう想定の範囲内の批判というものは、この一首の作中主体というか話者というか、単純に言えば、この一行のセリフをイラク人が発していると想定したってかまわないことに気がついていないと思って私は不満だった。

 日本文学を研究する在米イラク人が苦悩の末にイラク攻撃に賛成するというシチュエーションとして解釈することだってできるはずだとあの頃私は思っていたのだけど、そういうことを得意気に書くのもはばかられたし、そういうことを得意気にでなく書くことも自分の性格から言ってできそうになかったので黙っていた。

 先日、読みたくて手に取った高野秀行の『異国トーキョー漂流記』(集英社文庫)を読んでいてそのことを思い出した。在日イラク人の中に、フセイン政権打倒のために侵攻もやむをえないと考える「容認派」がいたということが書いてある。でも、「容認」というのと「賛成」というのは違うかもしれない。そこから書くべきことのいくつかを放置して今日はおしまいにする。

異国トーキョー漂流記 (集英社文庫)

異国トーキョー漂流記 (集英社文庫)

斉藤斎藤『渡辺のわたし』
http://www.lebal.co.jp/cyabasira_bbs/books_saitousaitou_0401.html



(以下蛇足)

と、この書き込みをしようと思って検索かけていたら、こんなページを見つけてしまってやれやれだ。

http://masuno-tanka.cocolog-nifty.com/blog/2006/05/post_9813.html

ますのさんが言っている某歌人のご夫婦って、佐藤弓生さんと高原英理さんかな。