舞踏家の眼差しについて

上杉貢代さんの眼差しということについては、以前「ダンスがみたい5」だったかで私が上杉さんの公演のアフタートークを担当したときに、質問してみたことがある。そのとき上杉さんの舞台の上で踊るときに見せる目の表情になにか特別なものを感じて、踊っている時には何を見ているのか、と聞いてみたのだ。身体感覚を研ぎ澄ませるためには目から入ってくる情報はかえって妨げとなるのではないかといった事を聞いた気もする。上杉さんは、自分の存在を受け入れるように、目に映る場所の存在もまた受け入れるようにして踊るのだと語っていたような気がするが、そのときのやり取りを個人的に記録しておいたわけでもなく、漠然とそんなことを聞いた記憶が残っているだけである。

この視線のあり方ということでいうと同じ年のフェスティバルに山田せつ子さんも出ていてその公演のアフタートークを担当した。そこで、山田さんについて「鳥のような目だ」と私は言った。どういうことかというと、どこを注視するというわけでもなく、感情に曇ることがないどこまでも澄み切った中性な目の印象が、まるで上空を高速で飛翔する鳥が常に自分が横切る事ができる空間の多様な線を刻々と移り変わる視野の中に捉えているかのように、無数の動きの可能性が明滅する(いわば内的で理念的な)空間を眺めている目であるように思えたからだった(むしろ、内的で理念的な世界を舞台空間に投影する眼というべきか)。そういう趣旨の話をすると、山田さんはこのたとえ話を首肯してくれたと記憶している。ダンサーの目のあり方ということを考えるとき、私にとっては、上杉さんの目と山田さんの目は二つの典型をなしているように思われる。

(8/6記す)