短歌の鬼

先週、現代詩手帳の春日井健追悼特集を購入ISBN:4783718598。読み進めているところ。
私は、亡くなって初めて、その存在の大きさを知った。歌集では、『白雨』をちょっと読んだことがあるだけだ。

加藤治郎氏の追悼文を読んであやうく泣きそうになった*1。春日井健の歌集を読んで泣いたりしたくは無いので、最後の歌集は、時間を置いてから読もうと思う。

岡井隆の「<劇>の行方」という文章が採録されていて、春日井健の「奥三河の祝祭「花祭り*2」に取材した作品」に関連して、釋迢空(折口信夫)と対比しながら論じている。お祭りで「鬼」が出てくるのだけど、鬼をめぐる短歌を論じている。

鬼という形象がトランスの中で現れてくる祝祭と、そのような形象を浮上させる意識の源泉へと迫ろうとする文芸とが交差する、とでも言うか。

それで思い出したのだけど、最近読んだ石川美南さんのとても美しく新鮮な歌集『砂の降る教室』*3にも、鬼が出てくる。次の作品は、フラメンコの発表会で踊る場面をテーマにした連作の中の一首。

ああ鬼がもうすぐここに来るここに来る地底、脚、腸、胃を抜けて

文芸の始原から短歌の歴史を貫いて通じるものがあるのだろうな、とか、少々ありきたりなことを思う。石川美南さんは、文化的な遺産を巧みに現代に生かすことのできる人なのだろう。

そういえば、春日井健追悼特集の編集には水原紫苑氏が関わっていた。石川美南さんは、春日井健の孫弟子にあたることになりますね。

馬場あき子『鬼の研究』も読んでみないとなあ、と思いつつ。

三河(おくみかわ)って、愛知県の北東部を言うらしいけど、私の郷里、母が生まれたあたり長野県天龍村も文化圏として近くて、似たような祭りが残っている。折口信夫も調査にきている。石井達朗さんの『ふり人間』という本*4を読んでいたこともあって、常々見たいと思っていた郷里の民俗を伝える祭りを、今度のお正月は見に行ってみようか、と考えた。

*1:私は、芸術作品に触れて泣くとしたら、人の死が描かれているようなフィクションでしか、泣いたことがない。『南くんの恋人』(マンガの方)でも泣いたし、『センセイの鞄』でも泣いたし『第三の嘘』でも泣いた。なにか、取り返しがつかない出来事がおきてしまう、という状況が巧みに提示されると泣いてしまうらしい。

*2:http://www.tcp-ip.or.jp/~michiru/

*3:公式ホームページhttp://homepage3.nifty.com/yaginoki/book/top1.htmlで批評会記念のプレゼント企画があって、応募したのだった。批評会には話題のあんな人も短歌界をリードしているあんな人も来るので、これは見に行かなきゃとおもった。とても楽しみ。

*4:芸能から現代演劇までフィールドワークした本