チェルフィッチュの「クーラー」について

We love dance Festial ユーモア in ダンス 東西バトル編、東京公演を両プログラムとも見てきた。全八作品。
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初日は、チェルフィッチュ*1を見るために出かける。「クーラー」という作品。演劇グループなのに、身体的な手法という面で高く評価されて、ダンスのフェスティバルに呼ばれているという、素晴らしすぎる展開。(そういえば、チェルフィッチュの岡田さんはSTスポットの企画で、ダンスデュオの「ほうほう堂」の創作に参加した、ということもあったっけ。)

今回の作品は、「ダンス作品」という名目で公開されたわけだが、一応、セリフはある。

男女二人がネクタイやスーツといったオフィスを思わせる出で立ちで登場して、女性の方は職場でクーラーの設定温度が下げられて困っているという話を延々繰り返し、男の方は、同情したりアドバイスしたりする風だけれど、「警察を呼べば」と言い出したり(携帯に警察の番号登録してるから、すぐにかけますか?なんていうギャグもあった)ピントがずれた、かみ合っているようですれ違っているような会話が、同じ話を行ったりきたりしつつ、少しずつ展開してゆく。話の内容としては、そんなものだ。

チェルフィッチュとしては、「ピンマイク」を使ったのは初めてだとか*2。はじめの声が聞こえた時点で、肉声でのチェルフィッチュ公演に慣れていた私はそうとう戸惑った。これは、いろいろ問題を提示してくれるな、と、マイクを介した音と、肉声との違いについてぼんやり考えながら見ていた。

パークタワーホールはそれなりの規模の劇場なわけだけど、音楽を使わなければ、肉声でも全く大丈夫だっただろう。(森下真樹さんの公演を最後尾で見たけど、肉声がよく通っていた。そのへん、ホールの音響的な設計はちゃんとしてるってわけかもしれない。)
しかし、マイクの音声に慣れてゆくにつれて、この音量で音楽を流すことが、この作品においては本質的なのだろう、と納得した。

後期ロマン派って感じのクラシック(弦楽オーケストラ)の曲をノンストップで使っていたのだけど、マーラー交響曲第九番だそうだ。岡田利規さん本人に聞いて確かめたのだけど、何楽章とおっしゃっていたかうろ覚え。確か第三楽章だったか。同じモチーフの反復が多かったので、編集したのかと思ったが、まるごと一楽章流しっぱなしだったようだ。「ヴィスコンティに挑戦!ってわけでもないですけど・・・」とは岡田さんの弁。

いままでのチェルフィッチュ作品でも、音楽はいろいろな仕方で使われてきた。しかし、それは、作品にあるニュアンスを与えるためのものとして、時には雰囲気を与えるために、時には記号的な働きを担わされ、しかし付随的な要素として導入されていたと思う。いわば、枠組みの処理に必要なものとして音楽は用いられていた。

だが、今回の作品は、音楽そのものを、動きの動機として活用している。旋律の高揚にあわせて、大きな身振りが使われるような場面もあった。身振りが音楽のリズムに常に同期しているというわけではないにしても、時折思い出したように音楽と同調する場面があらわれる。チェルフィッチュの劇作家・演出家である岡田さんは、一作一作、何か新しい試みをしているのだけど、今回は、音楽をいかに用いるか、という点で、岡田さんにとっては新しい挑戦だったということになるのだろう。旧来のバレエなんかで音楽が使われるのと、ほとんど同じような、しかしちょっとずれているかもしれないような、そんな音楽の用いられ方だった。

ロマンチック全開の音楽のニュアンスは、語られている内容の瑣末さとは全くふさわしくないものである。音楽と同じスピーカーから流される言葉の方は、マイクを通して音量が増幅されていることもあって、身体運動とは表面上まったく別の位相にあるかのように見える。そして、むしろ身体が音楽と同調している。
舞台芸術を成り立たせる言葉、音楽、身体、というそれぞれの要素が、いったんばらばらに平行して自律したものとして扱われるからこそ、舞台に共存する三者は、絶妙な共鳴の可能な位置に据えられている。

全体の展開が音楽の構成と平行関係を維持しなければならない、という、岡田さん本人が設定した条件は、作品の構成を、ドラマ主体でも、状況再現主体でも無い仕方で成り立たせるという結果につながっている。これは、岡田さんの今までの作品にもあったことだけれど、それが、誇張というのではない仕方で、より明確になっているように思った。

*1:私が書いたチェルフィッチュ論に次のものがある。http://web.archive.org/web/20031109222027/www.pect-inter.com/nagisaniyukou/tonkatsu/yanagisawa.html

*2:今はもう無いチェルフィッチュブログにそのような記載があったようだ