2002年『群像』12月号の穂村弘

「うたと人間」とタイトルがつけられた対談での穂村弘の発言で私の目に止まったのは、まず、現代の人間と、「昔の」人間の違いに穂村弘がこだわっているところ。与謝野晶子斉藤茂吉の「夢の総量、絶望の大きさ、希望の強さ、欲望の強さ」「そこにあるカオス」は、戦後の社会に育った自分などとは比べ物にならない。「不条理や理不尽さをくづらない。死が遠くにある。」現代人が、表現において「昔の人々とどう太刀打ちできるのか」と思う、という話をしている。これは、今年の二月にイメージフォーラムで開かれた穂村弘レクチャーを聞きに行った時のテーマと重なる話だった。

斉藤茂吉の「味噌汁は尊かりけりうつせみのこの世の限り飲むと思へば」を引きながら、「実際に尊いのは自分の命ですよね。・・・自分が生きて自然を見たり、恋をしたり・・・その象徴が味噌汁なだけなんです」と穂村弘は言っているのだけど、この例も二月のレクチャーで話題になっていた気がしたのだけど、当日の配布資料を見てみたら載っていなかった。この茂吉の例は、この死生観は理解できるし、和泉式部もその線で読めるけれど、式子内親王の死生観は想像がつかない、といった話につながっている。

二月のレクチャーは、映像と短歌の表現としての同時代性を語るというもので、映像に詳しくない穂村弘が、短歌に詳しくないであろう聴衆を想定して準備してきたであろう話をしていたのだけど、近代以前(テレビのない世界)として和泉式部の二首と斉藤茂吉の一首を例に挙げていた。それで、その次に塚本邦雄をもってきて戦後として括るって感じだった。まあ、80年代と90年代の違いを語るための序論を、短歌入門をかねて話すということだったので、このくらいの大雑把なスケールになるのも当然なんだけど、斉藤茂吉和泉式部がならんじゃうっていうのは、そんなに短歌に詳しくない私でもちょっとくらっとする大胆なカットアップだった。
で、今回、『群像』の対談を読んで、斉藤茂吉和泉式部が同時代になる所以がわかったというところ。現代とはまったく違う時代の人であって、しかし想像力において連続を辿れる人としてこの二人が穂村弘の目に浮かび上がってきたということだったんだろうな。
穂村弘みたいなタイプの歌人は、和歌の伝統に対して、ちょっと遠巻きに付き合っているみたいで、その様子が伝わってくるのがこの対談の面白いところだった。

第二点は、万葉の「あかねさす紫野ゆき標野ゆき野守は見ずや君が袖振る」を引きながら、「すごい秘密の恋の歌なんだと聴くと、わかった気がする」けれど、「秘密の恋の歌だけれども、宴会の時の余興の歌として披露されたときくと、昔の人は何考えていたのかわからなくなる」といったことを『群像』の対談で穂村弘が語っている。
この「あかねさす」の歌を本歌取りした作品が、穂村弘の第三歌集『手紙魔まみ』に収録されているんですね。「あかねさす紫野ゆきロイホゆき・・・」ての。この本歌取りはいったいなんなんだろうか、と思っていたので、読解のためのちょっとしたヒントを見つけた気がしました。(というあたり、短歌の専門家にとっては常識なことなのかな。素人として素朴に発見の喜びを書いて見た)