ベケットと犬

2003年に邦訳が出た、ノウルソンの『ベケット伝』に、こんなエピソードが載っている。

1980年5月、ベケットはサンクウェンティン演劇ワークショップによる『勝負の終わり』の稽古に立ち会っていた。「ベケットはたくさんの友人や訪問者に稽古の見学を許したため、スタジオはときには熊の見せ物小屋*1のようになった。」
狂人のグループやら熱狂的ファンの集団やら編集者やらライターやらがわんさか集まっていたとのこと。その時の話だ。

二十代前半の女性がベケットのもとにやってきて、自分の犬にベケットと名づけていいかと尋ねた。ベケットの答えはこうだ。「わたしはいいけれど、犬はどう思うかな。」(下巻 331-2頁)

優しさにあふれた皮肉ではないだろうか。

こういう言葉は、並みの人間にはとっさには口にできないものではないか。優しい一言や、痛烈な皮肉なら、誰にでも口にできるだろうが・・・。見事に、ベケットという人がどういう人だったかを良く伝えてくれる一言ではないかと思う(ちなみにこの訳書の原題は"DAMNED TO FAME"だった)。


ベケットと犬といえば、『勝負の終わり』で出てくる犬の人形や、モロイに出てくるポメラニアン(らしき犬)のことなどが思い浮かぶ。

それで、ベケットと犬とのかかわりについて調べてみたくなり、『ベケット大全』を紐解いてみた。これは、日本のベケット研究の粋が集められたベケット辞典的な本で、ベケット研究者は必携の書なのだろう。

残念ながら「犬」という項目は無かったが、『ベケット大全』の「動物」という項目で言及される犬たちは、世界の残虐性を象徴する存在だったり、身勝手な人間の犠牲となることが多い動物たちの代表だったりする。

でも、ショーペンハウアーの項目末尾にはこんな記述がある。

ベケットは)・・・『勝負の終わり』に出てくるポメラニアンをベルリンでの自作演出ではプードルに変えたが、それはかの哲学者の愛犬に敬意を表してのことだったという。

(初出「些末事研究」/再掲2010年3月10日)

*1:原文を確認してないけど、たぶんこの「熊の見せ物」というのは、「熊いじめ」としばしば訳されたりもするような、エリザベス朝の見せ物のことに違いない。そうだとして、「熊いじめ」なんて訳さなかったのは適切なんだろうな。