関西旅行記 おたべさんの家

京都では おたべさんのお宅に泊めてもらいました。京都には三泊の予定で、はじめは、京大の吉田寮にも泊まってみようと思っていたんだけど、結局3日ともおたべさん家にお世話になることになった。ネットの知り合いとか、いままで何人かおたべ邸にとまったことがあるそうですが、さすがに3泊は初めてだった由。荷物を預けっぱなしにできたので、京都を観光した時なんかにとても助かりました。

毎晩おたべさんお手製の料理をご馳走になる。お世話になりっぱなしで申し訳ないくらいでしたが、居心地が良くてすっかりくつろがせてもらっちゃいました。おたべさんはだんなさんと二人暮らしなんですが、うらやましいくらい良い感じの夫婦だなぁと思いましたね。鷹揚な口調のだんなさんと、早口で多彩な口調のおたべさんの会話がよどみなく弾んで、一時、お話しに加わることができたのはとても楽しかった。
おたべさんのだんなさんは、ちょうど僕の母と同年代。そして、おたべさんは、僕と母の真ん中へんに位置付くことになります。おたべさんの波乱の人生をはじめとして、いろいろ昔話を聞かせてもらったんですが、それぞれのパースペクティブが交差して、今生きている時代に対する別の感覚を呼び覚まされた。

ちょうど、大阪でフェルメール展をやっている頃でした。おたべさんの家に着くまですっかり忘れてたんですが、フェルメールを見るだけでも大阪に行こうかと思ったこともあったんですね、実は。
少し昔に出た、ブルータスのフェルメール特集号、おたべさんがフェルメールに関心を寄せるきっかけになったのはこの雑誌だったそうですが、それを見せてもらったり。僕がフェルメールを知ったのは大学生のころ、NHK日曜美術館を見たときだったのだけど、それはブルータスの特集よりも数年前で、そんな話をすると、う、ちょっと悔しい、とか素直に口にしちゃうおたべさんです。そういう気取りのなさって、良いなぁと思う。そういう所に寛大さもあるとおもう。
僕はもう、何でも自慢したい方なので、ルーブルやウィーンでフェルメールを見た話をしたら、うらやましがられた。その時は、おたべさんはまだフェルメールを直接見た事無かったんです。

大阪のフェルメール展に出かけたのは、三泊した後の早朝でした。主婦にして社会人学生のおたべさんは、大学に出掛け、僕は京都を後にした。その日の朝は、だんなさんを送り出したおたべさんは洗い物をしていて、お世話になってばかりでは済まないので、僕はお宅に面した路地の落ち葉を掃除させて頂きました。
ちょっとしたお庭に庭木があって、道端に落ち葉が散っている。おたべさんは、落ち葉の季節にはそれを毎日片づけているということ。そういう所で家を維持する責任を果たしている。そんな風にして生活が成り立っているんだな。あたりまえの事だけど。長く学生の呑気な暮らしを続けていると忘れ勝ちな事だ。ご近所の人と顔を合わせて、挨拶したり。何者と思われてるんだろうなぁ、と考えたりしながら道端を箒で掃きながら落ち葉を集めているけど、風が吹く度にまた新しく散ってきて切りがない。

そんな風な仕方で、普段、モニターの上の文字をやりとりしているだけの知り合いが、なにか具体的な縁のある人になってくる。一宿一飯の恩義というくらいだし三泊もしたからには、それだけの義理もあるだろうなぁと思う。別に負い目と言うのではなくて、世界との回路が新しく開かれる感じだ。

そんなお宅をおたべさんと後にして、大通りに出た分かれ道で一礼して別々の方向に進んでいったのです。なんだか、旅行中というよりも、またもう一度家から旅に出たような錯覚を覚えて、どうも日常風景のような一時の別れの一齣が、なんだか何かそぐわない景色のようにも思われました。白い日差しが斜めにさしこみ、まだ暑さを感じさせるには日差しも少し若すぎると言った様子で、三日振りに荷物をまとめた僕は、バスを待ちながら一人称独白体の孤独につかの間戻って行くことになる・・・

おたべさんの家では、夜中のTVや朝の番組を見ながら話をしたりしてました。TVムック謎学の旅なんて、久しぶりに見た。この回はプリンの由来を探るという話。まだ続いてるとは思わなかったな。BSでヤナーチェクのドキュメンタリーを流していて、興味を持ったりもする。音楽番組に弟が昔専門学校で一緒にバンド組んでた二人「センチメンタルバス」が出演していて、そんな話もする。そのころやってた浅野忠信の出てるプリンターのCMで、主観ショットの画面に浅野忠信のものという設定の手が写ってたのだけど、TV見ながらその話をすると、おたべさんは気付かなかったそうだ。映画好き同士としては、ちょっと得意な気分。あれはカメラマンの手だったのかどうかなんて話もした。

おたべさんの家は、京都のはずれにあって、立命館大学に歩いていけるあたりです。その家は木造二階建てで、何度か増築を加えたちょっと複雑な間取りの古い家です。僕の母の家も、古い、と言っても戦後にたてられた木造家屋で、僕の苗字はこの家に由来しているのですが、毎年お盆と正月には帰省する馴染み深い場所です。どこか、そんな祖母の家を思い出させるおたべさんの家でした。居間には、映画のポスターや色々なチラシが壁に留められていたりする。そこには伊丹で上演された、ジョセフ・ナジの「ヴォイツェック」のチラシもあったんですよね。

(初出「日々の注釈」/2010年3月12日再掲)