関西旅行記(3)

東海道線を通って名古屋へ向かった

ゴールデンウィーク開けの月曜日、朝御飯を頂戴していると、小父さんは一足先に出勤。すこしのんびりしたらどうかと言われたが、旅先でいろいろ見てみたいと、勤め先に向かう小母さんと一緒に出掛けて、軽自動車で駅まで送ってもらう。高校生やサラリーマンでいっぱいの電車に乗り込んで、身延線から東海道線に乗り継ぎ、名古屋に向かった。富士の裾野が広がり尽くしたなだらかな斜面に明るい新緑が爽やかな富士市の風景を見るのはこれが二回目だが、独特のすがすがしさを湛えていている。富士市の五月特有の属性があるのだろうか。…いや、haecceitas. 此性と呟いてみる。
芽生えたばかりの新緑が、日光を逸散に貪りはじめ、うぶな重々しさを捨てて乾いた緑を深くしてゆこうとするその瞬間瞬間の美しさに眼を留めない人は、五月を知らない。なんて風な文句をひねってみる。もっと簡潔で良い一句が浮かんだ様な気がするんだけどな.....我を五月に。つかのま五月を味わいのみこむ旅になった。

近距離列車の堅いシートに身をなんとか沈めようと苦心して、うつらうつらと細切れの睡眠をとりながら、せっかく遠出しているのだから、少しはその土地らしいものに触れてみたいので、静岡県のFM局を聞いていみると、Gateway のPR番組をやっていてモバイルPC活用法を教えてくれたり、平井堅とか流行りの曲がかかっていたりするのだけれど、東京とは違って、どこかのんびりとした雰囲気を感じるのだ。インターネットで世界から注文を受けているという管楽器の修理工房を開いた楽器職人さんへのインタビューなどを興味深く聞いていると、静岡を過ぎる頃には列車は海から離れてなだらかな丘陵をぬって進み、海の近くの山地とは違う空気がかすむ地平線のあたりから淡い空色が続く様子や、郊外らしい風景と地方都市の景観が繰り返し現れるのを眺めつつ、携えてきたBergsonのOeuvresを繙いて、次の長旅にもこの楽しみを味わいたいものだなどと胸のうちでひとりごちながら一行一行のんびりと読んでいると、 いつしか在来線は濃尾平野へと滑りこんでゆき、その間にも忘れ物や発車時間やトイレタイムに気をつけながら何度か電車を乗り換え無ければならなかったのではあるが、浜名湖を越え、次第に田園の風景は住宅地や工場が建て込む景観に置き換わり、いよいよ名古屋に近づいてきたという思いが、今日の旅程をどう組み立てたものかという思案をはじめさせている。

名古屋に来るのも数年振りだ。僕の郷里の長野県飯田市は名古屋の影響を受ける圏内にある。中日新聞を購読している家が多かったりもする。高速バスで2時間余り。日帰りできる都会というか。
大学出て実家に戻り、サラリーマンしてた頃には、名古屋の美術館に出掛けたり、ダンスのビデオ上映会を見に行ったりした。高校生の頃、イントレランスのオーケストラ付き上映を見に名古屋まで来たこともあった。
そんな思い出もあるレインボーホールの横を通り過ぎ、名古屋駅へ。着いたのは昼過ぎ。名古屋からはバスで行こうかとも考えていた。が、時刻表と料金を見比べて、そのままJRで行くことにする。

駅の地下街の書店で「ぴあ」の関西版を購入。
都内でも大きな本屋で買えたのだけど、その時間がなかった。
名古屋では、小さな本屋でも関東版、中京版、関西版と三種類のぴあを販売している。
名古屋の美術館では関西弁を耳にする事も多かった。
名古屋の位置は、そんな重心を持っている。
名古屋だからな、天むすを食べようか、みそカツは遠慮したいな、
と地下街のお店を見比べる。

結局、きしめんを選択。
ぴあを見ながら食べる。
ちょうど、今日、明日と京都でダンス公演がある。
今日見に行こう、と決める。
旅先で良いものを後にまわすのは禁物だ。
早速問い合わせ先に電話してみるが、留守電だ。
会場の場所もわからない。
アートコンプレックス1928?郊外にでもあったらアウトかもしれない。
カバン二つかついで地下街から外にでる。
名古屋駅の西口の辺りは初めてだった。
いつもは反対の出口の高速バスターミナルから地下鉄で栄のあたり出るというのが定番だ。
駅を境に表と裏があるという典型的パターン。
インターネットカフェでもあれば自分の掲示板を冷やかしたりできるのだが。
そのあたりには何も面白そうなものはない。
美術館まで行っている暇は無さそうだ。

名古屋は通過するだけかな、とあきらめかけたときのこと。駅前の市街図を何の気無しに見てみると、近くに「ヒマラヤ美術館」というのがある。なんだそりゃ。市街図にまで載るくらいだ。それなりのものではあるだろう。時刻表をもう一度チェックする。40分ほどの余裕はある。荷物二つ抱えてそっちに足を向けてみる。ちょっと裏通りを抜け、駅のすぐそばとは言え、いかにも寂れた風な大通りにでてしばらく歩くと、「ヒマラヤセンター」と大きい文字を掲げた何とも知れないコンクリート立ての、もはや戦後ではないといった風情のビルがあった。ヒマラヤ奥地の民族の工芸品でも飾っているのか、それとも名だたる登山家の記念品でも収蔵しているのか。途中下車の旅の無計画な醍醐味。好奇心と猜疑心がくすぶる気持ちを面白がりながら、大通りを渡った。

ヒマラヤ美術館

ヒマラヤセンターの入り口のそばには、日章旗と、なにかの旗が掲揚されている。やはりどこかの国と関連のある施設なのだろうか、と思いながら建物の中に入ると一階には喫茶店のようなものがある。美術館の受け付けは喫茶店のカウンターのようだ。入場料大人300円。なんとも鄙びた雰囲気。受付嬢に荷物を預かってもらって展示会場の二階に上がった。パンフレットを見て、ちょっと拍子抜けする。ヒマラヤ製菓という会社の創業者が集めた美術品を公開しているから「ヒマラヤ美術館」なのだそうだ。
主に、三岸節子という画家の作品を展示している。荒いタッチで描かれた静物画や風景画など。いかにもオーソドックスで、古い洋館の壁で埃を被っていそうな絵だ。日本の西洋画の歴史を生きた三岸女史の略歴を読みつつ、その生涯に思いを馳せた。館内に設置されている雑記帳を見ると、何度も足を運んでいる熱心なファンが何人も居るらしい事がわかる。誰も入ってこない部屋に、当たり障りのないギター曲などがBGMにかかっている。ちょっと体を動かしてみたくなってきた。40分ばかり心置きなく絵画を鑑賞して、京都行きの電車に乗り込んだ。

。そして、京都に着いたら

旅の疲れと寝不足が重なって、車内でうとうとと眠りながら、岐阜県を通過。山あいに傾きかけた西日が柔らかくこぼれる。下校する高校生と同じボックス席に乗り合わせたお年寄りが、高校生に話しかけている場面に居合わせることもあった。それだけまだ田舎なのだな。鈍行電車を何度か乗り継ぎ、関ヶ原を越え琵琶湖の東岸を抜けて京都へ向かう。いよいよ目的地に近づいてきた。用水路にかかる橋や、農機具置き場の倉庫などが、いかにも古びた様子を見せている。風雪にさらされてくたびれた木材やコンクリート。火の見やぐらや、集会所の看板。なんとも知れない小さなコンビナートや、戦国時代の歴史を観光資源にした博物館。だいぶ日も傾き、黄昏の色を宿し始めた風景に物珍しさも感じなくなった頃、いつしか列車は長いトンネルを通過している。しばらくして、トンネルを抜ければ京都だ、と気がつく。
低い山に囲まれた盆地に列車はすべりこんでゆく。青と緑の階調。これが京都か。京都駅の改札を抜けて、真新しい駅ビルの中の観光案内所に向かう。いよいよ着いてしまった。どうなることやら。さし当たり、ダンス公演があるというアートコンプレックス1928の場所を突き止めなくては。駅ビルを登り降りして京都府京都市の案内所に尋ねてみるが、わからない。のんびりとした受け答えがなんだか苛立たしくなくもない。刻々と開演時間が迫るなか、どこかに手がかりが無いかと周辺地図を調べてみる。駅ビルに劇場がある。そこに行けば何かわかるかもしれない。劇場の入り口に「ぴあ」のカウンターがあって、そばにチラシの棚があった。とある劇団のチラシが一枚残っていて、目指す場所の地図をからくも見つけることができたのだった。
最寄りの駅は阪急線だったか、私鉄の駅が書かれている。てっきり京都駅から接続しているものかと思いこんでいて、そうでないと気がつくまでしばらくかかった。どうも東京とは勝手が違う。
まだしばらく時間がある。案内書でもらった京都地図を見る限り、そんなに遠くも無いらしい。歩いて行くことにする。思っていたよりは遠い道のりに感じて、荷物をコインロッカーに預けておけば良かったか、なんてすこし後悔する。数百円を惜しむ自分のけちさ具合に毎度のことながら少々呆れつつ歩く。結果としてはかついで行って正解だったのだが、それはまた別の話。
表通りや裏通りを入ったり出たりしながら、まだ明るさの残る空のもと、ちょっとした散歩という所だ。しばらく松本に住んでいたことがあるのだけど、商店街や、古い町並み、歴史的建造物が点在する盆地の風情が松本の様子を思い出させる。修学旅行で一度来たことはあったが、その時はバスで観光名所を移動するだけで、市街を歩いたりはしなかった。それなのに、なんだか馴染み深いような印象がある。
古い建物を改装した、なんだかオシャレなお店があるなぁ、と思っていると、そこが目指すアートコンプレックス1928だ。それが元はさる新聞社の社屋で、その講堂を今では劇場として使っているのだということを教わるのは、おたべさんのお宅に伺ってからの話。
入り口の前で当日券を求めると、20分ばかり待つように言われる。入場できないわけでは無いようなので安心する。その近くにあったお店でニシンそばを食べ、ちょっとくつろいでから再び会場に向かった。アーケードに覆われた商店街がなんとも良い雰囲気だ。あか抜けていながら、生活感もある。浮ついた感じのない品の良さとでも言うか。これが伝統の強みと言うものか。
思いのほか広い会場には、200人は軽く越えそうな観客が詰めかけている。備え付けの演壇と、その前の平土間をステージにするものらしい。座布団の敷かれた席に腰掛けて開演を待っていると、Nibrollの面々が客席に入ってくるのを目撃。僕の席のすぐ前方に陣取った。声をかけたものかどうかしばらくためらっていると開演だ。前半の演目が終了したあとの休憩時間に、僕の傍らを通りかけた矢内原さんが「どうしてこんなところにいるんですか」と声をかけてきた。「ニブロールを追っかけて来たんじゃないですか」と答える。訝しげな顔で冗談でしょ?と、あしらわれる。今井尋也さんからは「ワークショップやってるからきてくださいよぅ」と言われる。未定だった京都滞在のスケジュールがその瞬間にほとんど埋まってしまった。ここで旅の時間軸が一挙に入れ替わる。

(初出「日々の注釈」/2010年3月12日再掲)