関西旅行記 ニブロールのワークショップ

2000年のニブロール大阪公演に参加したダンサー・パフォーマーの人々と会ったすぐ後に、タクシーを飛ばしておたべさん宅に向かうことになったのだけど、着いてしばらく経ってから、明日の予定はどうか、という話になって、ニブロールのワークショップに参加するつもりだ、と話すと、おたべさんは、即刻、私も言って良い?と聞いてきた。このリアクションの早さには驚きましたね。
それで、初日の途中まで、おたべさんと2人で、京都日仏会館で開かれていたニブロールのワークショップに参加することになったのだ。
ワークショップに参加したのは二日間。ワークショップ自体はすでに一日開かれていて、二日目と三日目に当たる。おたべさんは、二日目の途中まで参加。僕は二日間みっちり参加した。
内容は、バレエの基礎、オープンスペースという、ニブロールがリハーサルなどの前に行っている特別な、一種のエクササイズ、そしてコンタクトインプロヴィゼーションの三つ。
初日は、単純に楽しかったが、二日目になると、ちょっと様子が違ってきた。それは、僕の意識が変わった、ということもあるし、それ以上に単なるお客さんではいられない人間関係の端緒みたいなものが緊張を感じさせたのかもしれない。

それで、最初はバレエのレッスンだった。少し遅れて着いたらもう始まったとこだった。講師は、ニブロールの「森君・・・」に出ていた鶴見さん。バーが無いので、椅子につかまって、レッスンする。
ま、見よう見まねで、バレエ流の体の訓練の基礎をなぞってみたという感じだが、バレエ的身体運動の公理や公準がどんなものかを実体験してみたという感じで興味深かった。
僕は、バレエの素質が無くはない方らしい。筋が良いから続けたら、と言われた。

バレエに続いて行われたのは、ニブロール振付家、矢内原美那さんがリードして行うものだった。前に説明し忘れたけど、オープンスペースのあとに、二人づつ、あるいはグループになって、音に反応しながら即興的に動いてみる、という課題を行うというものもありました。これは、なかなか興味深いものだった。創作の原点に、どんな発想や思考が働いていたのかを目の当たりにしたという感じ。

オープンスペースの話をもう少し詳しくしてみよう。これは、一種の集団即興によるある種のエクササイズだ。何を目的としているかというと、自分の創造性を新しく展開させるヒントを見つけること、ほかのパフォーマーとの距離の取り方や関係の結び方、解き方を問いなおすこと、などなど、と言えるだろうか。

円陣を組んで座り、その中のスペースでは何をしても許される(もちろん相手に危害を加えたり、不快を感じさせることは当然避けられるわけだが)しかし、同時に、その空間をある種「聖なるもの」として尊重することも求められる。円陣のなかのパフォーミングスペースに入る人は、一礼してから入り、そこから抜ける人は、一礼してから抜けること、という注意がなされる。ある種の儀礼的な共同作業が展開されるわけだが、チベットかどこかの僧侶が行う儀礼にヒントを得たものだということだ。秋吉台で開かれた、振付家向けの「アーティストインレジデンス」(まぁ、芸術家の支援と養成のための合宿のようなもの)において、たまたま生み出された方法だという話だった。
それを矢内原さんがニブロールの「リハーサル」に導入したわけだ。ある種のメンタルな面も含んだウォーミングアップ法でもあり、舞台で競演するパフォーマーの間の信頼関係、ないしコミュニケーションを醸成するためのものでもあるのだろう。

演技スペースでは、言葉も使われるし、ダンスのような動きも、ダンスとは普通呼ばれないような日常的な動きも使われる。そこから関係が結ばれて行くこともある。呼応し合う事もあれば、他の行為の介入によって、ある行為が中断されることもある。
音楽での集団即興というのは見たことがあったけど、舞台芸術での集団即興が、まったく何の規則もテクストもなく展開されるのを見たのは初めてだった。しばらく面白がって様子を見ていた。自分が、この中に加わるタイミングがあるだろうか、と多少の不安な感覚も抱きながら。物怖じして出ていかない、というのもつまらないが、下手なことをして見下されるのも嫌じゃないか。一緒に来ていたおたべさんの様子も気にしながら、機会をうかがっていたのだ。

さて、初日は、「オープンスペース」に一礼して、輪のなかに入っていったのだが、その時何がきっかけになって足を踏み出したのかよく覚えてはいない。何か、自分のなかで一歩踏み出そうという気分が膨らんできたのだ。
人と人の関わりの網目が様々に結ばれている空間のなかに、自分が通りぬけられそうな隙間を見つけて、そこを駆け抜けてみたり、自分に残された空隙で自分の気分で踊ってみたり、最初はそんな感じだった。音楽がかけられることもあって、普通に曲に合わせて踊ってみたりもした。
おたべさんが、なんとなく所在なさげにしているので、わざと蹴りを入れるみたいなこともしてみた。「なにをぉ?」と向かって来りするおたべさん。ある種、じゃれるというのは、無効にされた攻撃性の型を取る。それは動物として基本的なことじゃないかと思う。やってる時はこんなことは考えず、自分にできそうな事を即興的に、無反省に行っているのだが。
だんだんと、気分が乗ってきて、すこし関係も結べるようになってきて・・・問題はこの先だった。

その場になじんでくると同時に、向こうから関係を結んでくれる場合も出てきた。はじめは目と目が合って微笑む程度だったりしたのだが、いつしか、ぼくの靴下を取ろうとする人まで現れた。

これは今思うと、桜井さんのワークショップにも出ていて、今度、森下スタジオでの「ネクスト・ネクスト」という企画にも参加するたかぎまゆさんだった。

さて、靴下を取られそうになって、僕のいたずら心がもたげだした。ちょっとこの気分を活用してみようとおもう。取れるもんなら取ってごらん、って感じで、ひらひら脱げかかった靴下を振りながら、挑発するように、誘うように、床にはいつくばってしばらく逃げ回っていた。
ゲームのルールが了解されて、ある種の場面がそこに即興的に成立した。まぁ、きわめて単純なものだけど。どこか、遊んでいる気分でもあるが、遊びを遊ぶ中で、展開を計算し、周囲の状況を見渡す意識も働かせている。

ここまでは良かったのだが。

靴下をめぐる、追跡逃走ごっこばかりつづけていても仕方ないと思ってどう締めくくろうかと思っていたのだ。つかまる振りをして捕まえてみようかと思った。靴下をつかんだ相手の指を、靴下をひねって捕まえた。上半身と下半身を入れ替えながら、体の軸をぐるぐる回して、靴下をねじった形だ。一回転、ニ回転、三回転・・・自分の足の方なんて見ていない。すると、「痛い!」という声が。指を締め上げすぎてしまったらしい。慌てて解いて(それにも体を逆回転する必要があったのだが)あやまって、具合をみると、皮膚がめくれてしまっていた。

幸い、その程度で済んだ、とも言えるのだが、その夜は自分の軽率さを後悔して、しばらく眠れなかった。

おたべさんの感想

ワークショップに一日一緒に行ったおたべさんの感想を引用してみます。

この前ね、誘われてダンスのワークショップに行ったのね。で、そこでオープンスペースってクラスがあって。
サークルの中に好きな時に好きなように入っていって、好きなように身体を動かしていく。
最初の内は、それこそおっかなびっくりだったんだけど、だんだん没我の心境になっていくのが分かる。
でも、やっぱりそこには他の人との絡みみたいなものも有るから、没我である中の緊張感みたいなものも存在する。
そこに参加してる「他者」の存在や、彼等との関わり合い方を意識しながらも己を解放していくこと。
これって、簡単なように見えて、とても難しい。
下手すると、ただの独り芝居になるし、自己満足だけになる。
だけど、ひとたびコミュニケーションがうまく行きはじめると、とてもいい状態になる。
こっちの気持ちも、それに連れてどんどんハイになっていく。お互いが刺激し合うのが分かる。
互いに絡んでいく中で、ひとつの物語が生まれていく。。。
あれは、貴重な体験だった。。。

↓このページの5/23の発言「魂の在り場所」から引用。
http://www.geisya.or.jp/~kmtake/kodomo/5.html

(初出「日々の注釈」/2010年3月12日再掲)