関西旅行記(2)

思い出

去年は、シアターオリンピックスの一公演を見に静岡に行って、親戚の家に泊まって帰ってきた。今年も関西に行くついでに静岡にたちよろうと思った。
フランス大使館が発行しているパンフレットで、フランスの演出家の公演があると知ったので予約してみる。「静岡春の芸術祭」参加企画だそうだけど、そのパンフレットはぶっきらぼうな説明しかなくて、全容は良く知らないままでいた。
去年は、せっかく静岡にきたのだから、もう少し見て帰ろう、と、静岡県美術館に向かったら、閉館だった。バスで20分ちかくかかる山の上で、締め出された格好。なんと連休明けで臨時閉館日だったのだ。韓国からバレーボールの国際試合を取材にきていたカメラマンも、同じ目にあっていた。「どうなってるんだ」と聞いてきたので、下手な英語ですこし話した。展示企画はアジアの現代美術。照明も消えた館内を玄関口からのぞき込みながら、暗い館内にひっそりと並ぶ作品を想像する。カメラマン氏はそのまま立ち去り、僕は隣の図書館をちょっとのぞいて東京に向かった。帰る足で国立にある大学に行き、読書会に参加する予定だったのだ。
帰る電車のなかで、眩しい五月の緑を見ながら、こんな事が前にもあったな、と思いが10年ばかり前に向かう。松本で浪人生活をおくっていたころ、世界のアマチュア映画祭みたいなイベントがあるというチラシをみつけて、松本から少し離れた町に電車で向かったのだ。日程を勘違いしていて、お目当てのイベントは見られず、図書館を覗いて帰った。あの日も、緑のまぶしさに目を細めていたら、向かいの席の、どこかの母親がいぶかるように僕を見て、ほら、景色が綺麗だから見ておきなさい、なんて子供に言ってたものだ。
そんな事を思い出しながら、いつもの肩掛けカバンと、大きな布地のバッグを担いで、国立の駅に歩いて行った。すこしゆっくり寝て、そろそろお昼といった頃。美術館に行く余裕、ちょっとはあるかな、なんて思案しつつ。

バスにのって、またのって

JR中央線国立駅から終点の東京駅まで向かう。東京駅からJR高速バスで静岡まで向かうのだ。車内では、エスリンの”Anatomy of Drama”の邦訳を読む。『演劇の解剖』と言う題で訳されていたのだけど、TVドラマや映画の話もあるので、せめて「劇の解剖」とでも訳した方が良かったんだろうな。演劇関連の文章を書く必要があったので、旅行中もいろいろ考えてみようと思ったのだ。東京駅で降りて、泊めてもらう親戚に何かおみやげでも買おうかなんて構内の出店をのぞきながら、おみやげをしまうカバンは、と、思い至って網棚に置き忘れたことに気がついた。都内で、普段出歩いているつもりですっかり旅行用の荷物のことを失念していた。ホームに駆け上がってみたら、乗ってきた電車は折り返し逆方面に出発したところ。駅員さんに申し出ると、新宿駅で探してもらえるということ。荷物の特徴や、乗っていた車両の位置などを説明する。新宿駅で荷物は無事確認されたが、やっぱり自分で取りに戻るはめに。往復だけで40分、あわせて一時間は遅れた。自分で探しに行こうなんてあわてていたら、反対の終点まで行かなければならないところだった。最低限のロスで済んだことを喜ぼう。
一本遅れた2時過ぎのバスに何とか乗り込んで静岡に出発。ともかく取り返しのつかない忘れ物でなくて良かった。それにしても、旅行しようと言うのに本に夢中になってたりするのは良くないな。これに懲りて旅先では用心するようになるだろうし、と前向きに考えることにする。
昼間のJRバスは、予約もなく、並ばないといけないようだ。名古屋行きは、かなりの列ができている。いつも乗る長野行き高速バスは全部指定席の予約制なので、意外に思う。八重洲口から首都高へ向かうバスのなかで、FM放送を聞く。 クラムボンがゲストで出演。矢野顕子っぽいなぁと思っていたら、やっぱ多大な影響を受けているらしい。車窓から東京の町並みを眺めている。都内で車に乗ることなど滅多にないので、新鮮だ。普段、地下鉄やJRの駅の周辺を歩いて行動しているので、見慣れた風景のそれぞれが、線として結ばれていくだけで、なんだか感激してしまう。六本木を抜けて、渋谷へ、三軒茶屋を越えて用賀を通って。あの首都高の高架は、ここに通じていたのかぁ。バスが進むごとに、地図が塗り替えられていく。居並ぶビルを見回しながら、東京の市街が遠くにかすんで消えて行くのを眺めた。
首都高から、東名高速道路へ、視界に緑が広がりはじめ、FM局の電波も途切れ勝ちになり、通学に使うのか、高校生が乗り降りしたりする。高速バスなのに、立ったまま乗っている人もいたり。本を読んだり、うとうとと眠ったりしている内に、御殿場のサービスエリアで小休止。雨がぱらついていたりする。富士の裾野をめぐり、太平洋も視界に入ってくる。富士市を通過、ここに親戚の家がある。製紙が盛んな町なのだが、工場の多さを改めて認識する。なかなか静岡に着かないので、時計が気になりだす。妙な建物が見えるな、と思ったら 「グランシップ」だった。磯崎新設計の静岡が誇る大形複合文化施設だ。日本平のバス停を通過してやっと静岡駅へ。今日のお目当ての演劇が上演されるのは、日本平の「舞台芸術公園」にある劇場なんだけど、日本平で降りた方が良かったかなぁ、間に合わなかったらどうしようか、と少し不安になる。静岡駅に着いた時には5時50分近く。7時開演だけど、山の上にある辺鄙な劇場に向かうバスも少ないのだ。去年、 シアターオリンピックス の一公演を見たのも舞台芸術公園だったが、その時は東静岡からバスに乗ったのだ。静岡駅から間に合うようなバスが出ているかどうかもわからない。一応会場も確かめようとチラシを探してみたら、間違えて日仏学院のプログラムを持ってきていた。フランス大使館のと間違えた。あぁ。静岡県のイベントなんだから、静岡駅のどこかに「静岡春の演劇祭」のポスターやチラシが無いかと思って探してみたが、みあたらない。本当に山の上でお目当ての芝居が見られるのか、日程を間違えてないだろうか、会場を勘違いしてはいないかと不安が募る。去年静岡県美術館に行ったとき静岡駅からバスに乗ったので、バス停の位置などは把握していた。いくつもの系統があって、乗り場もたくさんあったが、めざすは去年と同じバス停だ。一年振りの同じ風景に、多少心が落ちつく。去年の無駄足も無駄ではなかったな。
バス停には、7時から公演がある日には、臨時のバスが出る、とある。それが6時10分発。なかなか危ない所だった。バスだから時間通りに来ないこともあると分かっていても、予定の時間を過ぎると、やきもきする。会場の舞台芸術公園に着いてはじめて、やっと自分の行動がきちんと目標通りのものだったことを確認できたのだった。のっけからスリルとサスペンスに満ちた旅行だ。なんだかこの旅行を予兆しているような気もしたりする。明日は京都に向かうにしても、最終日に大阪でニブロールの公演を見る事以外は、何の予定も立っていないのだ。
バスの車内で、旅先からネット上に同時進行で日記を書き付けてみたらどうだろうか、なんて考える。インターネットカフェでも探して。そうしたら、日記にはどんな名前を付けようか。高速バスの退屈な車中でなくても、いろいろ下らないことを考えてばかりいることが多いのだが、とりわけ名前を考えるのは好きなのだ。子どもの名前だとか、付けるあてもないのに考えてみたり。書名だとかバンド名だとか、今のところ縁の無ければ必要も無いことなのだが。「旅日記ドラマティーク」とかいうのはどうだ?でも英語風の方が妥当かなぁ。などとくどくど考えてみる。ここは是非、 「クロスオーバーイレブン」の 津嘉山正種の声で読んでもらいたいな。
それはさておき、「楕円堂」は去年の会場だった野外劇場よりも遠くにあった。それがどこかも分からないままちらほらと見える他のお客さんの足並みを追って行く。着いたときには開演間際だったがまだ開場していない。玄関の前に集まった人の少なさに驚く。100人には届かないだろう。フランスの劇団の作品をこんな山奥で上演して、お客がこれだけか。なんとも贅沢なことだ、と思う。

静岡の夜

その日見に行ったのは「アイアス-フィロクテテス」。フランスの国立劇場、オデオン・ヨーロッパ劇場の芸術総監督、ジョルジュ・ラヴォーダンが演出した作品だ。二本のギリシャ悲劇 からの抜粋を二人芝居として構成したもの、ということを現地ではじめて知る。ひとつの筋立てがあるわけではなく、二つの場面が対比されるような構成で、フランス語と日本語字幕により上演された。独白とダイアローグが中心のセリフ劇なわけだけど、やはり演技がすばらしい。負傷した老兵士が、利かなくなった片足を引きずりながら苦痛にあえぐ姿など、迫真というよりも生々しい。舞台の傍らにテーブルと椅子がおかれていて、白い布を壁に吊っているだけのシンプルな舞台だ。ぼんやりとした暗めの照明が、夢幻的な雰囲気を醸している。カーテンコールの時に、ステージに白い砂が敷き詰められていたことにはじめて気付いた。舞台を見ながら、読みかけのエスリンの議論がフラッシュバックする。なにを考えていたか忘れたが、舞台のイリュージョンということについて、自分の考えが一面的で不十分なものだったのではないか、と思えてくる。ともかく具体的に作品に迫らないとだめだろう。木造の「楕円堂」は、床が畳敷きという面白い建物。かといって和風というわけでもない。ステージの空間も、楕円の長い半径をはさんで舞台と客席が対峙するというものだが、天井を支えるむき出しの木材が組み合わせの妙を見せてくれて、新鮮だった。 鈴木忠志の対談本をチラッと見て、磯崎新の設計だと知る。なるほどね、さすが。さすが。
東静岡の駅から富士市へ、そして身延線で10分ばかり、親戚の家に向かう

ホームムービー/ロードムービー

母の従姉妹にあたる小母さんが、車で迎えにきてくれた。昨年一度泊めてもらっただけなんだけど、もうなじみのある場所という感じがする。祖父の新盆の時だったか、本家の宴席で小父さんに「一度遊びに来てくれよな」と言われたのを真に受けてお邪魔させて頂いたら、そんな事言ったっけな、なんて言われた去年。それまでは、それほど親しくさせてもらってたわけでも無かったのだけど、気さくに歓迎してもらえるのはありがたい。母の実家のある、長野県最南端の山村、天龍村に製紙の原料になる木材の買い付けに来ていた小父さんが、小母さんと出会って結婚。静岡県富士市に戻って以来20数年暮らしてきたことになる。今では、パルプのほとんどは海外からの輸入に依存している。輸入先の南アフリカのパルプ工場に研修旅行に行って、サバンナの野生動物を見てきた話なども伺う。社内報に載った紀行文も読ませてもらう。仕事の話や家族の思い出話を聞くことは、経済を介した地域間の結びつきが変容する様子を、思い出の中に浮かび上がる郷里の地図の上に具体的に重ね書きするような経験だ。

昨年秋、天龍村のお祭りを見に帰った話をしたところ、祖父が生きていたころお祭りの様子を写した8ミリがある、という事だった。お願いして見せてもらう。サイレントの8ミリフィルムを業者のサービスでビデオに起こしてもらったもので当たり障りのないBGMがつけられている。何年にもわたって撮りためられたある一家の映像記録だ。祖父が祭りの行列に参加している様子が写っているのは一瞬だ。こんな形で記録に留められていたとは思いも寄らなかった。大量のホームムービーが撮影され、現像され、散逸していった時代に、きまぐれな僕の旅行と、祖父の、考えようによっては数奇な人生が、再びつかのま交差したことになる。ちょうどそのときOLしている娘さんが帰ってきて、「なに見せてるの、退屈させてるでしょう?」なんて、家族のビデオを見せられて困っているお客さんにされてしまった。面白いですよと言っても逆に遠慮されてしまう。映像鑑賞に関してはかなりの擦れ枯らしなので、かえってホームムービーの豊かさに惹きつけられるところがあって、いくらでも見ていたくなるのだけど、そんな大げさな事も言えないし。

小父さんから工場の話を聞いたりするのはとても興味深いことで、聞きあきることがないのだけれど、哲学について質問されるとなんだかそぐわない話を不器用にしている気分になってしてしまう。 ついさっき見てきた舞台の話をしていたら、一時期夫婦で社交ダンスを習っていたり、小母さんは津軽三味線の大会に出ていたりもするという話をうかがう。素敵だ。つつましく、飾らない、ゆったりと楽しむ時間もある、幸せな人生、僕には望めないものだと思う。明日の計画も立てていないというと、きままでいいなぁとうらやましがられる。

それにしても、くつろげる寝場所を借りる事ができるのはなんともありがたいことだ。

(初出「plank blank」/2010年3月12日再掲)