ワークショップの起源と流行

このあいだ、岸井さんの曳舟ロビーについてふれた記事でワークショップという言葉について説明を書いた。

英語圏で工房という意味合いの言葉の転用から派生した言葉で、舞台芸術関連では、短期間の一般向け公開講座といった意味合いで使われることが多いようだ。
一方向的な教授ではなく、双方向的な試みという狙いをこめて、ワークショップと呼ばれているのだろう。
『アーティスト・インの条件』/POTALIVE再考(9)+ - 白鳥のめがね

この記事を書いたときには、特に他の文書類を参照することなく、自分の見聞と、かつてすこし辞書などを調べてみた程度の知識で書いたのだった。

しばらく後、たまたま別の経路でローレンス・ハルプリンを紹介するWikipediaの記事を読んだら、こんなことが書いてあった。

ダンサーで、サンフランシスコ・ダンサーズ・ワークショップを主宰し妻であるアンナ・ハルプリンとともに、公的な空間と利用者との相互関係に視点を当て、噴水広場やアメニティに配慮した公園や歩行者空間・エクステリア空間などのデザインを行った。

1960年代から、今日のワークショップをデザイン教育、住民の体験を基にする市民協働まちづくりの分野へ取り入れるといった手法も実践した。
ローレンス・ハルプリン - Wikipedia

http://larch.be.washington.edu/Overviews/whatis.php

そういえば、アメリカのポスト・モダンダンスに影響を与えたってよくいわれるアンナ・ハルプリンがサンフランシスコの一般市民をたくさん巻き込んで、広場とか体育館でダンスをしているビデオを、サンフランシスコの図書館のアーカイブで見たことがある*1。そういうあたりにコミュニティーとアートという関心があって、身体からダンスを立ち上げる思考がそこに至っているというわけだけど。なるほどね。

そのついでに、日本語版のWikipediaで「ワークショップ」の項目をみてみたら、ちょっと充実していた。あわせて読むと参考になる。

体験型の講座の意味でのワークショップは、問題解決やトレーニングの手法である。 この意味での「ワークショップ」は20世紀初頭の米ハーバード大学においてジョージ・P・ベーカーが担当していた戯曲創作の授業 ("47 Workshop") に起源をもつ。

近年は企業研修や住民参加型まちづくりにおける合意形成の手法としてよく用いられている。
ワークショップ - Wikipedia

日本で住民参加型まちづくりにワークショップ形式が導入されたいきさつも、丁寧に紹介されている。

1970年代後半に世田谷区の太子堂地区においてマンション紛争が起こり、世田谷区の主催で区民向けのまちづくり懇談会が開かれることとなった。懇談会では区民から紛争をめぐる世田谷区の施策を批判が相次いだが、懇談会設置後、1年を経て懇談会に参加した区民の中に「批判だけでは問題解決しない」「行政と対等に話し合うには住民側にもそれなりの専門知識が必要」であるという意識が広がり、1982年に懇談会メンバーの住民を中心としたまちづくり協議会設立準備会が創設され、住民主体のまちづくりの実現を目指した地域住民組織づくりに向けた活動が開始されるようになった。このまちづくり協議会準備会が行政との対話の推進を目指す中で行ったのが、「まち歩き」「まち点検」などの活動や勉強会の開催であり、その活動が次第にプログラム化されていく中で、まちづくりワークショップとして定着するようになった。
ワークショップ - Wikipedia

なるほど。

ところで、Wikipediaの記事は各国語版が記事同士でリンクされているので、少しは他の言語での記述も見ておくよう心がけている。Wikipediaは信用できないという人がいるけど、辞書だろうが本だろうが自分でできる限り別のものをあたって確認するのが基本だろう。

http://en.wikipedia.org/wiki/Workshop

それで、Workshopの英語版はあっさりした項目だなあとか思いつつフランス語版へのリンクをたどってみたら、フランス語でWorkshopに該当するのはAtelierなのだった。言われて見れば当然だけど、今まで結びつけて考えてみたことなかったな。
Atelier — Wikipédia

カタカナでアトリエっていうと、演劇畑ではワークショップとは違うニュアンスになるし、日本語ではいまやアトリエという言葉に「工房」というイメージはほとんど無いと思うので、ルネサンスにも遡れる調子で技術よりの話をしているフランス語Atelierの項目から日本語のワークショップの項目に飛ぶと、軽く文化史的なめまいがしますね。

話は飛ぶけど、思いついたついでにここにメモしておくと、カタカナ語って言葉をどんどん孤立化させる力があるよな。この痕跡消去力を考慮に入れておく必要があるだろうけど、カタカナ論ってどれだけ掘り下げられているのだろうか?

※メモ:リンク
よくわからないけど、ローレンス・ハルプリンに言及している英語サイトのひとつ。街の再開発のなにか。
http://www.mydowntownmall.com/2009/02/hangin-with-halprin.html

*1:たまたまニブロールのサンフランシスコ公演をおっかけて見に行ってた2001年7月のこと