「PRIFIX3」

ゲーム作家で書評も書いて発想法の記事とかも書いていて立命館大学で教えてもいて、岸井大輔さんのプロジェクトでもおなじみの米光一成さんがナカゴーという劇団の公演に出演するのだって告知しているのを見かけて、これは面白そうだと思って見に行ったら、一番面白かったのは「バナナ学園純情乙女組」だったので、それがどう面白かったのかということを書こうと思って米光さんのサイトを覗いてみたら、米光さんが書いている感想のほかに何かあえて書き足すことも無いような気がしてきた。
こどものもうそうblog「PRIFIX3」

米光さんは普段トークショーとかでしゃべっている米光さん以外のなにものでもなかったので、それは思ったとおりだった。米光さんが何か捨てたり拾っていたりしても、それは、舞台じゃなくても米光さんがしていること以上でも以下でもなかったろうと思う。米光さんにとっては、世界は舞台っていうより、ゲームなんだろうし。
ナカゴーをみて、ベストではないのだろうなと思ったけど、ナカゴーのベストはハイバイとか五反田団のベストとワーストの間のどこかに位置付きそうだし、別の領域に演劇的に見逃せないなにかを加えるという気もしなかったので、見逃さない劇団リストには入らないなーと思った。

ロロは知り合いが絶賛していたので気になっていた。お母さん役の女優さんの上唇のとんがり具合がはんぱなかった。ベスト唇とんがり女優賞というものがあったら、文句無く賞をあげたい。
ロロについては、五反田団とかチェルフィッチュとかのあとに演劇をすることに自覚的であって、きちんとその後をフォローしながら、やりたいことを丁寧に実現していると思う。何がやりたいか良く見えていている。でも、そのモチベーションに対して素直すぎるので、アウトプットされるものは、わりといまどきのひとは素直にみられるよいものですね、という評価を出ることはないような気がしている。演劇とかしらないひとが素直に面白いと思える演劇ではあるだろう。そういうものが注目されるのはよいことだ。

Mrs.fictionsは、主宰のひとがキレなかった14才りたーんず参加作品「学芸会レーベル」でダニエル君という配役でひとりだけテンションが低いって言うすばらしい演技をしていたのが記憶に新しいところだけど、グループとしてとても良いとおもった。
えーと、なぜか宇宙人が働いている職場で宇宙人が仕事をやめることになって、そこで中堅社員が恋人から結婚を迫られていて逃げ続けていて、ってちょっとテンション低めのシチュエーションコメディーみたいな展開がほほえましいくすぐり満載で隙が無い脚本がある種ナチュラルな演技によって切り取られているっていう風で丁寧な仕事ぶりに好感を持ったのだけど、その設定が『うる星やつら』になぞらえられているわけで、ラムの電撃がスタンガンに置き換えられているあたりが素晴らしいギャグになってた。
恋人から逃げまわる役の役者さんが、文系サークル部長の雰囲気を崩さないまま職場でグループリーダー的な仕事をこなしてますって感じを出していて、良かった。
別になにも独創的ってわけじゃないけど、やっちゃいけないことはひとつもやってないし、エンターテインニングだし、こういう芝居がカジュアルに見られるようになるといいよね。

バナナ学園純情乙女組」については、褒めすぎちゃいけないという自制心を自覚してはたらかせなくちゃと思う程度に衝撃をうけた。いや、ある意味、出たてのころのニブロールのちょっとやばい感じに椹木野衣東浩紀も衝撃をうけてたのは、「バナナ学園純情乙女組」がどこか生々しい感じを放っているのと同じだったんじゃないかなーという気さえする。

登場する人物たちがほとんど全部アニメやライトノベルとかの類型に収まるみたいで、一種のコスプレショーみたいな仕方で進行しているのだけど、ギャルっぽい雰囲気のしゃがれた声の女優さんはパフォーマンスは良いものだった。演出について分析的に語る語彙を持たず、演技の質について丁寧に見分ける目も弱いので、それを冷徹に分析する言葉がないのだけど、平坦なテンションを持続させる重心が低めのでもしなやかでよくころがるセリフ回しが心地よかった。

舞台表象的には、ひとりだけ血まみれ風のメイクをして、ブルマーと血塗られた体操着をつけた小柄で髪の短い女優が、コスプレショー的な舞台の表層に対して撹乱的な役割を果たしていて、舞台に演劇的な緊張を走らせていた。アニメとかコミックとかのよく消費されているコンテンツの記号がおさまるコードから微妙に外れる位置にあって、サブカルチャーを戦略的に取り入れたアートの文脈をさらにパロディ化してコンテンツのコードを撹乱するような位置に置かれているみたいな感じっていうか、単純にたとえれば鳥居みゆきみたいなキャラなんだけど、会田誠の少女の絵とかのパロディーかって感じで、ブルマーの股にあけられた穴からオレンジのピンポン玉を産卵するみたいに舞台にまきちらして弧を描くように乱入してきていた場面は鮮烈に脳裏に印象が焼き付いている。

ある種のベタな物語が展開されているようなんだけど、そのセリフが聞き取りづらいとかってことは、どうでも良いことだった。土佐有明さんがなんか書いてたけど、セリフが聞き取れて物語が破綻無く解釈できるかどうかってことは、演劇においてはまったく付随的なことに過ぎないわけで、そんなところでひっかかっている人は、演劇の見方が狭いと断言しておく。ま、狭いってことが間違いではないと補足もしておくけど。

こういう舞台は、時代を超えた価値をもっているわけではないけど、身体表象と身体レベルのコミュニケーションのアクチュアルなモードを、スローターダイクが言う意味でキニカルな仕方で舞台に乗せたいっていう、ある種暴走気味な感じもしなくもない疾走感っていうか、若気の至り的なやっちゃいました感っていうか、ある種の悪ノリが舞台装置を露悪的に活用するモチベーションっていうものが、動画投稿サイトとか二次元的なフィクション(小説も含め)では決してできない何かを駆動しているのは間違いなく、ある種考現学的な関心を唆しながらそれを嘲弄したいっていう尾篭な諧謔のポップな駆動っていうのは、言葉の伝統的な意味で芸能が果たしてきたことにほかならないし、現代の後白河法皇がいたら寵愛したであろう、いまどきはやりのものにだけある輝きというものを、確かに放っていたような気がする。そのはかないうつくしさをみることができたのは、この手のオムニバス公演が果たすべき役割を的確に実現していたということだし、ミーハーに腰軽くのこのこ王子まで出かけた甲斐があったと思ったことだった。でも、何度も見に行くものということもない気がするし、こういうものはリコメンドしたりパッケージすることが野暮って代物だろうと思うけど、そういうものが出てくるのも、舞台というものの本質が死んではいないことの証左であろう。

はー、久しぶりの饒舌モードでした。軽薄にではないと掬えない価値ってものもあるさ。あ、一応、この公演の全プログラムを見たけど、ほかの演目については、私が言うべきことは特に無いです。

(9月4日記す)