『昏睡』(作:永山智行、演出:神里雄大)-+

初日に見に行った。26日まで。

出演 山内健司 兵藤公美
http://www.seinendan.org/jpn/infolinks/infowakate090626.html

最近は、演劇を見た感想を書くときに、出演者の人への明示的な言及を心がけています。なんとなく、演出家で舞台を語ることに疑問を持たないでいた自分の有り方を反省したわけです。

なのでまず俳優と女優を褒めておこう。お二人とも青年団の方のようですね。二人芝居です。

兵藤公美さんは、少女から老婆まで演じてその幅がちゃんと誇張でなく出ていた気がします。とても良い女優さんだとおもってちょっとファンになりました。どこか岸田今日子にも通じるみたいな、落ち着いた声は、低音を響かせても、すこし高めの声にしても、乾きすぎもせず湿りすぎもしないという感じで、素敵でした。抽象的観念的な発話がすらすら続くのが心地よいってなかなか居ないと思う。それでいて、コミカルな演技もちゃんとできるしね。逸材ですねー。青年団の舞台とかこの先ブッキングされてるようだけど、むっちりみえっぱりの舞台に出るそうなので要注目ですね。
カーテンコール後にさらっと作品のモチーフを示すような断章を口にして微笑んで去っていくあたり素敵すぎ!でした。

山内健司さんはよく見かける人だと思ったけど多分青年団とか青年団がらみの舞台で目にしているということだろう。とても安定した演技で、低音の響きが良く劇場にいきわたっていた。悪く言えばちょっと一本調子ってところかな。どこか切羽詰った感じをずっと醸し出していて、それは演出の意図だったかもしれないけど、ぎょろっとした目をせわしなくくるくるさせている感じ。

戯曲自体は、事細かな感想書く人も居るだろうし、上演台本も売ってるし、あえて細かく書かないけど、寓話的で関連がなさそうないくつかの場面が断章って感じで並べられていて、大人の童話って感じですかね。あれだな、形式としては、アラビアンナイトとか、あんなのも意識してるのかもしれない。一千一秒物語とか。生と死のいくつかの場面、当然性的なモチーフが繰り返されますけどね。

演出としては、基本、フィジカルなレベルに照準しつつ、いくつか小道具も使って、旅行用のスーツケースを開くと植物が塔のように伸びるってファンタジックな仕掛けを中盤で用意してたりとかするのと、舞台の正面に黄色回転灯があって時折くるくるするくらいの簡素な仕掛けでしたね。会話劇としてあんまり変な仕掛け無しに展開してましたけど、ちょっとだけ身振りが様式的に強調される場面がなくもないくらいな感じだった。

回転灯が非常を知らせるように回って、カンカンと警告音みたいなものが鳴るって場面が、冒頭繰り返されて、舞台の中ごろにもそれが繰り返される。その不快さみたいなものが、どこかひっかかりを与え続けていたのだけど、今思うと、あの切迫感みたいなものに脅かされている状況をフィジカルなレベルに落としているのは、断続的な戯曲の構成にたいして、死に脅かされる身体って水準を一貫させていたっていえるのかもしれない。

照明で差し込む月明かりを演出したりしていた。舞台正面奥の斜めの階段もアクセントを与えていた。多分、舞台造形的には傾斜が大きなモチーフになっていたってことだろう。その滑り台は、死と終演までまっしぐらなんだけど、ゆるゆるずり落ちていくって感じで、足をかけて留まることだって、遡ることだって、できないわけじゃない。

現代口語演劇以降の一傾向を示す佳作といったところでしょう。中盤ちょっと退屈したけど、良いものをみたな、と思って、トークは聞かずにさっさと帰ったものです。

(追記)回転灯と警告音について加筆