『おかしな時代』―出版編―

おかしな時代

おかしな時代

新日本文学晶文社→『ワンダーランド』創刊(のちの宝島。VOWのタイトルはワンダーランドに由来)というすごすぎる展開。日本の出版の世界に「サブカルチャー」の領域を開拓していった、その軌跡が回想される。

晶文社のデザインってすごく良いし、ラインナップもすごいフットワーク軽くていいよなとずっと思っていたんですが、その礎を据えるのに津野海太郎さんの功績が大きかったらしいことがわかる。
津野さんの盟友として晶文社に関わる平野甲賀デザインの『ウェスカー三部作』の表紙などが図版で出ているけど、今見てもかっこいい。かつて、これを小脇に抱えて演劇の稽古場に行くのがかっこよかったって佐藤信が言ってたのがうれしかったって津野さんが書いているけど、むべなるかな。こういうかっこよさって、ほんと大事だ。

デザイナーとの共同作業から物としての本を作る楽しさに目覚めていくあたり、時代を先駆けている。
杉浦康平デザインの『新日本文学』表紙が図版で出ているけど(p.61)この幾何学的でシャープなデザインが、「非人間的」っていって会員から批判されたそうだ。新日本文学共産党との絡みがあるわけだけど、往時のヒューマニズムってものがどんなものだったか彷彿とさせるエピソード。

出版史ということでは「汝、まねするなかれ」の一節が、時代の転機を記していて必読。
今ではおしもおされもなんたらな感じで、あって当たり前な未来社とかみすず書房とか筑摩書房とか光文社とか早川書房とか、「戦中戦後派」出版社として列挙されて、それが「週刊誌ジャーナリズム」の勃興と並列される、年表に雨後のたけのこみたく出版界が勃興していくのが目に浮かぶような鮮やかさ。

そこから、「サブカル」のフィールドが開かれてくる。その端緒に、花田清輝を据えてみせる。

新日本文学会プロデュースによる広末保『新版四谷怪談』上演とか:::略:::花田清輝『爆裂弾記』の上演とか:::略:::演劇にたいするこうした熱中の背景には、二十世紀前半のモダニズム運動やアヴァンギャルド芸術運動を古今東西の大衆文化と一気に融合させようと呼びかける花田清輝の挑発があった。:::略:::―花田さんするどいね。ほどなくこの社会に生じる「アングラ」から「サブカル」にいたる地すべり的な文化変動を予見していたみたいじゃないか。(同書pp.89-90)

新日本文学会がらみで、知人の結婚をレーニンの歴史的決断になぞらえておどけた演説をぶつといった藤田省三の横顔を描いてみせたり、雑誌も少なく著書も出版されず、不遇をかこっていた植草甚一の借家を訪問すると、庭の先に小田急線の特急が駆け抜けていく情景を語ってみせたり、印象深い場面がいくつもある。

かつての編集室があった界隈を物語る口調から、東京オリンピック以前の、再開発で消えていった戦後東京の町並みが浮かび上がってくる。

エンツェンスベルガーの『政治と犯罪』が晶文社から出た後、朝日の書評欄に絶賛する匿名書評が出て、かなり売れたのだとか。

人文書出版の黄金時代、一九六〇年代から七〇年代にかけての朝日・毎日・読売の三紙:::略:::がもつ影響力は、じつになんとも、たいしたものだったのである。

件の書評が、吉田秀和のものだったと、あとでわかったそうだ。そんな時代があったのか。

その後、津野さんが雑誌『本とコンピューター』で、アジアを視野に入れていく萌芽も、この本のなかに語られている。

※関連リンク
http://expop.net/mt/archives/2008/11/post_470.html
津野海太郎『おかしな時代』 : いつもココロに?マーク