『日本語が亡びるとき』を読みなおすためのレッスン#4

わたしたちは、自分の故郷や言語を「当然」のものとみなすので、それらは「自然」なものになるが、それらを支える諸前提は気づかれることなく、ドグマや正統思想になる。したがって、自分の家でくつろがないことは、道徳の一部であるのだ。(エドワード・サイード
▼「文化人類学者になりそこねた表現者たち」展 : イノレコモンズのふた。