清志郎が歌う、過去へジャンプする、未来へ
仲俣さんのブログを読んでいて、故忌野清志郎がイエス・キリストに深い敬意を寄せていたことを初めて知った。
この本のなかで繰り返し、「神」や「キリスト」が言及されているのが気になる。聖書をそのまま訳した長い文章も載っているし、そのほかにも「不思議な人」「偉大な人」「あの人」というフレーズが出てくる。
http://d.hatena.ne.jp/solar/20090509#p1
それで、昨夜TBSラジオの特番で、宇多丸さんが、FM東京とのトラブルのこととかにも触れながら、「ぎりぎり放送できる曲」と言って「あこがれの北朝鮮」を紹介しているのを聞いた。
特番「忌野清志郎リクエストスペシャル」のお知らせ (文化系トークラジオ Life)
救世主であるイエスに真剣に思いを寄せていた人が、こういう歌を歌ったんだな、そう思いながら聞いた。
この動画はニコ動にもアップされていて、コメントを見ると、「日本と北朝鮮、両国に対する痛烈な、皮肉」「単なる皮肉じゃない」「でも皮肉でしょ」みたいなコメントが見られる。
笑いながら聞いてたら、お気楽な曲調が急に変わって、ストレートなメッセージが歌われる。
いつかきっと みんな仲良くなれる
いつかきっと そんな世界が来るさ
差別も偏見も 国境もなくなるさ
この部分で、それまでのおちゃらけたような雰囲気で歌われていたことの意味が変わる*1。
北朝鮮への帰還運動*2において、プロパガンダとして描かれた楽園のイメージを援用していて、皮肉であるとしても、単なる皮肉ではなく、忌野清志郎は、現実によって裏切られた理想を、こういう歌で救い出そうとしているみたいだ。
あこがれの・・・
朝鮮
民主主義
人民共和国
北朝鮮の正式国名を構成するひとつひとつの単語を清志郎がシャウトすると、オーディエンスがレスポンスする。この曲で、客席とポジティブな関係を築いているのが、パフォーマーとして、本当に、見事だ。
金正日や金日成をちゃかしているようでいて、ひとりの人間として、呼びかけようとしているところが、重要なことだとおもう。そのためには、ユーモアが必要なんだろう。
差別や偏見や国家から人間が解放されるという正義の理想は、いとも簡単に、政治的な抑圧を正当化するイデオロギーに転化してしまう。そうした歴史的事実を踏まえながら、ライブで歌う清志郎は、理想にあこがれた人々の思いが肯定される場所を開いているみたいだ。
花が太陽のほうへかしらを向けるように、過去は、ひそやかな向日性によって、いま歴史の空にのぼろうとしている太陽のほうへ、身を向けようとつとめている。
「歴史の概念について」(ボードレール 他五篇 (岩波文庫―ベンヤミンの仕事) 330頁)
最後の「共和国」という部分で、メロディーに戻る。その歌い方が、理想というものに対する清志郎の思いを滲ませるようだ。どれだけ実現が困難に見えようとも、信じるべき理想がある。どこまでも困難さを受け止めながら。
この歌は、希望の歌だと思う。希望の歌として歌えるのは、清志郎だけだったかもしれないけど。
・FM東京のイベントで件の曲が歌われたときのことについて↓
・追悼にこの曲を挙げている人が何人かいた。
忌野清志郎♪〈あこがれの北朝鮮〉 ( 経済学 ) - 【学院倶楽部】 科学と宗教ならびに教養と民俗の【協同と連帯】 - Yahoo!ブログ
・右翼から見た「あこがれの北朝鮮」↓
http://avantgarde0721.gozaru.jp/d-log37.htm(10月10日の項)
*1:拉致への痛烈な批判(只で連れて行ってくれる)は皮肉だろうが、しかしそれもまたあくまで「理想」の裏切りである。そして、北朝鮮の人々が置かれている窮状に対する共感もまた、歌われていくことになる。今回リンクしたYouTubeのライブでは、歌詞がオリジナルから変わっているようだ。
*2:次のサイトを参照。404 Page Not Found. - GMOインターネット