「ミシ」、あるいは時間のコントラストについて

『大金星』の表紙には「ミシ」がいますね。表紙の女の子は集中には出てきませんね。

大金星 (アフタヌーンKC)

大金星 (アフタヌーンKC)

問題は、「ミシ」が出てくる『大金星』収録作「ミシ」です。
いろんな人が「ミシ」がいいって言っています。さえない男の片思いというのは、もう黒田硫黄的なモチーフと言うしかないし、料理ができる男に気ままな女の子がほれるなんていうのも黒田硫黄的というしかないし、荒唐無稽な多ジャンルリミックス感も黒田硫黄的というしかないし、「ミシ」は黒田硫黄の代表作と言い切っても良い!と思うくらい、黒田硫黄らしさがつまった中篇だと思うんですが、だめ?だって技法的にも黒田硫黄の引き出しは全開だよ?

「ミシ」の時間の流れって、緩急のリズムのコントラストが強烈すぎるくらい。遅刻遅刻って言っている窪田くんと、ぼーっとしている早田さんのコントラスト。最終話最後の4ページのぜいたくなコマの使い方と、その前のモブシーンとの落差。

ミシのモブシーンって、映画史的な記憶を喚起するもので、ロッセリーニの『イタリア旅行』とか、それに先立つ『天井桟敷の人々』のクライマックスとかを想起させる、群集の中ですれ違う(そうになる)という場面。映画であれば、エキストラの群集が埋め尽くすところを、ミシの一族が埋め尽くしている。

窪田くんと早田さんがミシの存在に何の疑問も抱いていないってところがすばらしい。ミシをめぐる荒唐無稽な似非民俗誌的伝奇物語というか壮大な活劇というかが、窪田くんのさえない日常のものがたりと平行して交わらず、ミシがただの隣人となってるのがすばらしい。こどもが大人になるまで待ってももう隣には居ない、という荒唐無稽な物語と日常描写の時間の捩れの接点は、逆に、窪田くんのさえない日常のしばられた時間とマンガっぽいキャラがやかましく繰り広げる活劇の終わりなく繰り返される時間がさりげなく対照される点で、ここでうかびあがってくるのは、ありきたりな時間のささやかながらもかけがえのない取り返しのつかなさなのだ。

映画史的な記憶というと、ミシ一族の物語はクストリッツアの『アンダーグラウンド』を彷彿とさせますね。そのアンダーグラウンドが、あくまで、日常に隣接して、日常を際立たせる役割をしているのが素晴らしいし、日常に隣接して、終わりなきナンセンス活劇の魅力をフル回転にしているのが素晴らしい。

ミシが居るのは漫画史的記憶で言えば、多くの人が指摘する通り、藤子不二雄っぽい。でも、居候じゃなくて、隣人ってとこが、ポイントかもね。それは、窪田くんはこどもじゃないってことだ。ミシとは擬似家族じゃないんだ。ミシがアパートで暮らしているってことと、子ども達とは仲良くしないってあたりの捩れが、終わりのない子どもの時間とは違う窪田くんの時間に、ミシが隣り合えるゆえんなんだ。お金は持ってないくせに、ごみはちゃんと捨てるんだ。

窪田くんが、女性向け下着メーカーに新卒採用されているって設定が、なんだかもう素晴らしすぎて、わざわざ下着メーカーに就職するっていうあたりのズレ具合が窪田くんのさえないながらの憎めなさを物語ってあまりあるのだけど、研修で売り場*1に入っているっていうのがもうそんなのどうやって思いつくのかという素晴らしさで、花屋さんにたいする下着売り場の対比とか、ミシの群れの中での特権的な再会と量販店的場面での客と店員としての距離の対比とかたまらないです。

唐突な群集シーンから引越しシーンへの転換が、93ページのフラッシュバックにつながることによって逆にひとりの引越し時間の日常の箍が外れたゆるやかさを強調することになっていて、それまでの怒涛の展開からのあまりに強烈な転換を引き受けながら、めくったページの先では、回想が言葉だけで進んでいって、場面は窪田くんが居る部屋の情景になっていて、そこで、時計を見る。時間の対比というモチーフが時計を見る時間に結晶されて、すっていたタバコを消す仕草が、タバコをすう時間の終り、次の行動への意志が動き始まる時間の節目を、動作の描写によって浮かび上がらせている。

時計を見る仕草は客観的な視点から、タバコを消す仕草は、クロースアップの主観的な視点から、次のコマではあいまいな窪田くんの視線が、その次のコマでは、ミシたちが怒涛のように押し寄せ去っていった隣の部屋のからっぽな様子が、さりげなく窪田くんの背中から描かれていて、これは、窪田くんが空っぽのミシの部屋にいだいたであろう、ただの隣人へのどうでもいいくらいの淡い感慨を、背中から覗き込むように読者に見せていて、それは頁をまたいだ回想の二重化が、作品世界を描くことと登場人物の視点を描くことの振幅として結晶するみたいで、すこし振り返ってでも前に進む窪田くんの仕草が、時間のコントラストを描くというこの作品の骨格をさりげない情景として纏め上げている。あるいてきた過去の先には、まだ無い時間が断ち切られるように示される最後のひとこまだ。

☆リンク

http://normal.jpn.org/diary/2008/09/post_384.html
ある方の感想。

マンガ家と編集者 - 鳩メモ
編集者とマンガ家という話の流れで、黒田硫黄が原稿を落としたエピソードが。

黒田硫黄の仕事
公式ブログ。なんだか黒田硫黄復活フェアみたくなっている最近ですよね。僕はまだ『大金星』しか買ってないです。

*1:どこか百貨店っぽいけどバックヤードの描写は百貨店ぽくない気もする