福田定良の教え

グーグルがまだデビューしたての頃、ためしに使ってみたとき、福田定良で検索したことを覚えている。そのときは、まったくヒットしなくてすごく残念な思いがして、インターネットっていっても、集積している情報はまだ福田定良の名前がヒットしないレベルか、と思ったものだ。

*ぼくと福田定良との出会い
ぼくの母校は法政大学だ。学部と大学院とあわせて15年近く市ヶ谷と飯田橋の間にある法政大学に通っていたのだから、いわばいままでの生涯の半分くらいを過ごした場所だ。いろいろ負っているものがある。

法政に通っていた間に、指導教授への学恩を別格とすれば、一番感激し、感銘を受けたのは市村弘正先生の講義で、正規に受講したあとも、何度か授業をのぞきにいったり、演習に参加したりしたものだ。福田定良の名前を聞いたのも市村先生の講義においてだった。法政で哲学を専攻する学生なら必読だが、と市村先生はおっしゃっていて、それなら読まなければならないと思ったものだ。

福田定良は哲学者で谷川徹三の弟子で法政大学出身で法政大学の哲学科の教授だった。福田定良は、自身の哲学に基づいて、市井の人々との対話のサークルをいくつもひらいていった。

福田定良の魅力について、二つの逸話。

A)殿山泰司の『JAMJAM日記』の中に、福田定良と会ったことが書いてある。日本映画史最高の名脇役のひとりであって、世のコアな本好きを魅了してやまない殿山泰司福田定良のことをほめているんだよ。

B)福田定良は、自身の哲学をニューフィロソフィーと呼んだことがあった。それは、ニューミュージックになぞらえてそう呼んだのだった。それだけ言うと、ちょっと軽薄なようだけれど、福田定良が「ニューミュージック」の中でずば抜けて良いって名指しているのは、デビューして間もない矢野顕子なんだ。これは、さすがに芸について粘り強く哲学した人ならではの慧眼だよね。矢野顕子の歌のような哲学!

*ぼくと福田定良との、出会わず
市村先生が、福田定良が生きている間に、哲学科の学生は会いに行ってみたらよい、とか言っていたような気がするけど、会うことなく訃報に接することになった。合田正人先生が図書新聞か何かに、追悼記事を書いていて、コピーしたのを覚えている。福田定良さんと話し合いや読書会のサークル活動をしていた人々の、その後が気になるし、会って話を聞いてみたい気もする。ちょっとだけ。

福田定良に深く影響をうけたこと
福田定良の哲学に深く感銘を受けてしまった自分が、アカデミックな哲学の世界に、軸足を据えることなど、できるはずはないのだった。

福田定良の教えに遅れて従う
福田定良の『哲学のすすめ』という本に、哲学をまっとうしたいなら、まず、世の中に出てみた方が良い、といったことが書かれていた。学部生のころによんで、理屈では納得した。それとは別の理由で就職して、すぐにやめて、母校の大学院に入った。福田定良の教えに従わなかったのだ。いまさら、福田定良の教えに従わないと、この先の人生がまっとうできないのだな、と観念することになった。


*なんだ、福田定良主義を貫けばいいんじゃん、と思った
福田定良の哲学のモチーフを一言で言えば、「演劇的存在としての人間」、だろう。初期の著作における「悲劇」と「喜劇」をめぐる論考は、後の円熟した『落語としての哲学』や『<面白さ>の哲学』においては、その対話的な著述の形式において具現化されている。

落語としての哲学 (教養選書)

落語としての哲学 (教養選書)

<面白さ>の哲学 (1975年)

<面白さ>の哲学 (1975年)

そう考えると、なんだ、日本における岸井大輔さんの先行者と言える人で、自分が一番良く知っているのは、福田定良だったんじゃないか、と思う。福田定良に深く共鳴することで、人生のひとつの進み方を良く定められた自分が、岸井さんの演劇的実践に注目せざるを得ないのも当然のことだった。そのことを、最近すっかり忘れ去っていたよな、と、仕事に没頭するくらいじゃないといけないと観念した今日、思い出した。