『沈黙のトークショー』がらみで

米光さんがコトリコさんとコミュニケーションしてた*1。気になる話題だったので、自分なりに論点整理してみた。

「相応の対価を得られるように」には、とても同意です。ただしその対価は、給料ではない(もしくは給料だけではない)という部分が、大切になってきていると思います。
選ぶ職業は恐らく高級官僚ではない

清掃やらレジ打ちの人の中にも、努力とかじゃ到底到達出来ない技術を持った人がいるって認められないことこそ、僕は職業蔑視だと思うんだ。
http://d.hatena.ne.jp/kotorikotoriko/20081201/1228091980

どんな職業であっても、仕事を極めればそれ自体に喜びがあるし、仕事を極めれば職場の中で尊敬もされる。まじめに仕事をしていれば、最低限の社会的な承認もある。

でも、社会的な地位とか、職業イメージの格差というものはあり、労力や仕事の出来栄えに比べて報酬の額に不均衡が生じるのも、その差に結びついている。

仕事を自由に選べるなら、高級官僚の方が良いと思わせるような仕組みが社会に組み込まれていて、そのような心性を少なからず持つ人が多数を占めるような状況になっていて、社会的地位とか、仕事のイメージが、再生産されている、そういう面はあると思う。


何年か前、タクシー業界紙の記者になりたてのころ、かつての上司に「タクシーの運転手*2についてどんなイメージを持っているか?」と聞かれたことがある。そのときは正直、リストラされたおじさんとかがやむをえずやっている仕事という風にしか思えなかった。

その後、収益を高めるためには都会が動くリズムを緻密に把握し、話術も磨かないといけないということはわかった。プロとして儲けるには高度のスキルが必要になる。そこに誇りを持っている人たちもいた。

でも、タクシー運転手になることに夢を抱ける若者がどれだけいるかと問われれば、ほとんどいないと言うしかない。若者が業界にあまり入ってこないので、タクシー乗務員の高齢化は進む一方なのだ。


あと、「仕事の誇り、仕事の喜び」というのを口実に、会社に都合よく働かせるというマネージメント戦略もあるって耳にしますよね。どんな理想にも堕落形態はあり、社会は理想だけで成り立つわけではないわけで。

会社がつぶれて転職した先で私は「レジのおばさんに教えをうける新人」と同じような立場にいますが、名誉と地位と金と能力と実績を欠いている立場から見ると、苦労をしなくても既得権益にあぐらをかいてふんぞり返れる立場になれるって言われたら、ふらふらその席に座ってしまいそうな気もするのが正直な実感。

そういう心性が、どういうところに由来するのか、克服できたり克服すべきことなのか、知らない。ニーチェとかオルテガとか、ちゃんと読んでみようか。


(追記)
件の記事、各方面で話題になっているみたいで、ちらちら関連エントリーを見てみた。

しかし、芸を価値にするためには、芸だけ磨いても駄目なのだ。
404 Blog Not Found:才能あるレジのおばさんにそれ相応の給料が支払われない理由

これは、なかなか言い得て妙だな。

レジ打ちにもはてなスターを!
はてなブックマーク - 才能あるレジのおばさんにはそれ相応の給料を払ったほうが良い

これって冗談みたいな思い付きだけど、こういうことをほんとに社会に実装できたら、社会的な地位や名誉の配分の仕方を大きく変えることかも。


あと、コトリコさんのエントリーのコメント欄にあった

なまえ 2008/12/02 14:16
>僕は職業蔑視だと思うんだ。

うーむ。職業蔑視していたのは君なのでは。
そんなお金をもらわなくても、すごいならすごいと。
お金とは関係ないのでは

kokotorikotoriko 2008/12/02 14:30 それじゃお前今すぐ文無しで暮らせよカスが。

というのも、本質的な話だと思った。お金なしには食えないだけでなくて、尊厳が保てないってこともある。

*1:なんだか、性善説性悪説みたいな意見の食い違いのような感じですが、あるいは、無知のヴェールとか「経済人(homo economicus)」の仮定とかに通じるような、社会思想的な思考実験の前提になる人間性についての了解にかかわる何かという感じがしますが、米光さんとコトリコさんの見方の違いっていろいろ大事な問題を抱えているみたいだ。

*2:運転だけでなく接客もするので、法律的業界的に正確に言えば乗務員