斉藤斎藤といえば

「風通し」を申し込んで届いて読んだ。代金を振り込んだ(振り込んでもらった)。
2008年11月17日(月): ogihara.com
若手歌人の創作と相互批評の饗宴。今面白い短歌はだいたいこのあたりにあるんじゃないかと思ったり。その話はまたいずれ。

「風通し」に載っている斉藤斎藤の連作がまた「今だから、宅間守」の路線をさらに徹底させつつ同じ主題を別のポピュラーな話題を通じて展開させている風で、これはやはり「今だから、宅間守」を今こそ読み返してみようかと思うのだが。

『渡辺のわたし』を久しぶりに「ちから、ちから」の連作を読み返してみると、やはりすばらしい連作で改めて心打たれ、「雨の県道」の歌がこの連作に入っていたのだということをすっかり忘れていたことになんだかわれながら驚いた。

雨の県道 あるいてゆけばなんでしょうぶちまけられてこれはのり弁 斉藤斎藤 - Google 検索

なぜかこの一首を読むと夜の県道の情景が浮かんでくるのだけど、それは、描写の中に、雨にぬれた路面とのり弁と、そこに向かっていく歩みだけがあって、ほかの一切は見えないから、そんな風に思うのかもしれない。

「今だから、宅間守」を読んだとき、『渡辺のわたし』にあった要素の一部が煮詰められているような感じがしたのだけど、考えてみると「ちから、ちから」の連作で描かれていた死というものが、主題としては、「今だから、宅間守」に直結するものではあった。