金沢のウシミツ

歌人に連れられて金沢まで来たものの、プラットフォームのパンフレットを見て、いかにもありそうな現代美術かなとか思ってそんなにわくわくしていなかったのだけど、廃屋の中にしつらえられたこの作品を見たときに、わざわざ遠くまできた甲斐があったと思った。
高橋治希 : 金沢アートプラットホーム2008

住む人もいないまま放置されていたような空き家の中に、アスファルトが敷かれていて、入っていくと、うすぼんやりした土間のようなくらがりの地面からまばらな草むらのように草が生えているのが見えるけれど、それもアスファルトを使って作家が手作りしたものだとスタッフに渡される解説盤には記されている。

会期中だけそこにある、乱暴に踏み込まれれば荒らされてしまうような、繊細なインスタレーション。木造家屋の破れた壁のそこここに蛍光灯がさりげなく仕込まれていて、展示空間にぼんやりとひややかな広がりを生み出している。

金沢では古い町家が次々と壊されてアスファルトの駐車場へと変わっていく。そんな現実に対するとまどいでもあります。

外から見ればただの町外れの空き家であるような木造家屋の中に、このときの金沢でなければ見られない現代美術の空間が思いがけず内臓されていて、その場に踏み込むことが、初めて訪れた金沢の町の記憶が結晶していく核のようにして脳裏に残っている。

あのひと時、あの暗がりの場所に体ごといた感覚は、ホワイトキューブに置き換え可能な作品に面するのとは違うささやかだけどかけがえのないなひとつのビジョンを齎してくれたのだった。日常をさりげなく裏返して見せるような、新しい視界をひそかに切り開いてくれるような、そうした芸術的な創作が可能なのだということの。