「対決巨匠たちの日本美術」展の蕪村

MIHO MUSEUMの蕪村展を見に行って「夜色楼台図」に感動した話を書きました。
http://d.hatena.ne.jp/yanoz/20080701/p1
国立美術館の「巨匠たちの日本美術」展に蕪村も展示されていると聞いて見に行った*1

今回の展示で蕪村は、池大雅と対決させられている*2

蕪村に関心を持ったのも最近で、江戸時代の文化に疎いので、池大雅を意識して見たのは今回が初めて。池大雅の線は、描線だけでなく文字をとっても、とても几帳面でちょっと神経質な感じがした。
蕪村と比較されるのは良くわかるけれど、かもし出しているものはある意味対極でもあるな、と感じる。

そうして改めて蕪村のふくらみのある、どこかとぼけたみたいな、やわらかい線の質がとても魅力的なものとして浮かび上がってきて、そういう点を意識できたという点では何だかんだいって比較を促すという展示の啓蒙的コンセプトに感謝すべきところかもしれない。

あの夜色楼台図も、新たに公開された銀地の山水図屏風も展示されているのだった。

MIHO MUSEUMに見に行った時には夜色楼台図とか俳画に興味を奪われて、新公開の山水図屏風は流して見るだけだったので今回はじっくりと見る。この間は、僕が遠くまで出かけていったけど、今度は絵の方が遠出してきている。

多少展示が配慮に欠けていて、展示面の真下が白い床になっており、それが銀地に反射して、下地の銀のまだらに黒ずんだ様子とかが逆に強調される。そうして見えてくる相貌というものもあるのかもしれないけれど、ちょっと見づらかった。

展示の解説が、絵の情調を寂寥感と言っている。確かに、寒々とした深山の人を寄せ付けない気配みたいなものが覆っていると言えるのだろう。しかし、描かれる人々や生活は、なんだかのんきな感じもあって、そうした寒気の中の温かみというのは、早川聞多氏が夜色楼台図に見出したものに通じるような気もする。

しかし、蕪村が描く家屋は、なんであんな風にひょろひょろとした線で頼りなげなような優しげなような、なよやかな表情をしているのだろうか。漂泊といったら大げさすぎるのかもしれないけれど、「仮の宿り」を転々とした蕪村の生活感情がああした家屋の様子につながっていたりするのかなと想像した。

遠くの山の稜線のあたりに、てっぺんがくねっと曲がった奇妙な黒い線分が幾つか立てられていて、木を表しているのだろうとわかるのだけど、変なキャラクターのように見えてきてしまう。
見るものに擬人化をそそのかすような重層性がそれぞれのタッチにあって、そこに潜在している把握が、きっと俳諧というものに通じていたりするのだろう。

そうして行きつ戻りつしながらしばらく佇んでいたのだけれど、ふと「夜色楼台図」が目に入ったとき軽くショッキングで、それは、MIHO MUSEUMで見ていたときの印象とずいぶん違って、まるで裸にされているみたいに小さく見えたからだ。

一瞬、MIHO MUSEUMでは展示の仕方や照明に騙されていたかな、と思う。あの時は、ゆったりとしたスペースに、まるで壁一面が額装であるみたいに、傑作オーラを引き立たせるみたいに展示されていて、控え目で薄暗く柔らかな光のなかにぼんやりと浮かび上がるようだった。

今回は、一室にぎりぎりまで並べた壁の隅っこについでのように掛けられて蛍光灯に照らし出されていた。

むしろ、そうした貧しい環境で見てこそ、作品を冷静に見られるのだということかもしれず、夢心地にされて見ているのは鑑賞者としてはナイーブにすぎるということかもしれないけれど、料理やお酒を楽しむのにはそれにふさわしい雰囲気があるというもので、作品の魅力を最大限に引き出す展示の作法というのもひとつの芸術であるというべきなのだろう。夜色楼台図を初めて見たのがMIHO MUSEUMで良かったと思った。一瞬、東京で見られると知ってたら滋賀まで行かなかったかもな、と思ったけど、知らないで滋賀まで行って逆に良かったなと思ったりもした。

二度目に見たということも、今回の印象に大きく関わっているのかもしれない。キルケゴールの『反復』という本はいまいち自分は理解できていないようなんだけど、初めて体験した魅力をもう一度と思って再訪するとがっかりしてしまう経験というか、そんな感じ。

しかし、印象の中でずいぶん大きなものと誤解していたのだけれど、案外小さな絵だったということを確かめられたのは良かった。昔の日本の生活空間は、きっと全てのスケールが現代日本に比べて小ぶりな世界だったのだ。そういう小ぶりな世界の、小ぶりな絵。

再会したときの、質がうせてしまったような、見失ってしまったようなショックから立ち直って、もう一度画面に向き合う。どこかよれよれとした「楼台」や家屋がならぶ夜景に視線が浸透していく。厚みのような独特な質があらわれてくる。

「雪が降っている感じがするでしょう」と小学生くらいの少女に語る母親がいた。

*1:今回蕪村のことだけ書きましたが、他は流して見るという贅沢な見方をした。お盆中にも関わらず入場制限で30分またされるほどの込み具合で、ゆっくりと見られなかったということもあるし、ちょっと遊び呆けて寝不足だったこともあって、他の巨匠にじっくりつきあう体力は無かった。まあ、それぞれに、すべてが派手ではないにしても、美術史に残る傑作が並んでいて見ごたえある展示だったとは思う

*2:日本美術史をドラマとして通覧して見せるという意味ではキャッチーな企画なんだろうけどね。でもどっかやっぱり通俗的すぎるような気もしてしまう。それと、雪舟と雪村が並んじゃうとか、若冲蕭白がポスターでもフィーチャーされるとか、昔だったらあり得ないことなんだろうし、辻惟雄以降の日本美術の読み直しを公式化してみせるような感じ?と半可通的には思う