が見たい!10について書き残したこと

ディープラッツの「ダンスがみたい!」フェスティバルですが、先日は国枝+古舘組について書きました*1
http://d.hatena.ne.jp/yanoz/20080717/p1

ほかには、2演目見ただけ。若干感想を。

正朔×イシデ タクヤ
『剥製の初夜』
7月30日(水)&31日(木)19:30
会場/神楽坂die pratze

木曜日に見に行った。

公演案内に書かれたコメントがまたなにやらカッコいいので期待していた。

イシデ:「ロメオよ!舞踏とは、その距離のことだよ」(土方巽) この公演は2体の童貞による、どぶ川へと流されていった暗黒舞踏への執拗な恋慕である。正朔とは23年前、土方のもとで共に舞踏の産湯を浴びた。師の没後初の共演となる。
正朔:「形はね、消えていくから形が見えてくるんです。暗黒暗黒って言うけどね、闇にも光や艶が有るんですよ。」(土方巽)降り積もる雪が舞い上がる時、そのわずかな剃刀の切り口にも似た隙間の中に、対極の同志が風に巻かれ通り過ぎていく。

私はイシデさんのダンスが好きで(といっても今回が二度目だけど)私が見た中で舞踏系のダンサーでは一番良いと思う。舞踏のエッセンスを余計なスペクタクルとは無縁のところで繊細に見せてくれると思う。

「対極の同志が風に巻かれ通り過ぎていく」というのはまさにそうで、軽快で線が細く重心高めのイシデさんと、重厚で骨太な正朔さんが好対照をなしていた。

音楽も照明も、抑制が効いていて、全体に全く無駄が無い緊密な舞台。衣装もほぼ日常と地続きの簡素なもの。静かな緊張が持続する中に、動きの気配や動機が細やかに共有されていく。緩慢に始まって、遊戯的なシークエンスもはさんで何度かの暗転を繰り返しつつクライマックスを迎え、半裸になった2人が舞台正面ににじり寄ってくるシーンで終わった。

舞台の印象はいろいろ残っているのだけれど細かく描写する気持ちにはなれない(それは良い意味で舞台の印象が自足しているのであらためてそれを別の形で表出したいと思ったりはしないということだ)。

フォーサイスが「良いダンスは見終わったあと何も残らない」と言っているけど、さわやかな感動に包まれて、良いものを見たなと思い、それで十分という舞台だった。

知り合いで正朔さんのファンという人も何人か居て会場で顔をあわせたりしたけれど、やっぱり私はイシデさんが良くて、イシデさんのダンスの何が良いのかというと、以前には観客が何を空想しようとそれよりも早く身体の中にイメージが駆け巡っているに違いないという風なことを書いたことがあるのだけれど、たおやかさというのとも流麗さというのとも違う、カリカリとした乾いた運動が諸々の方向に錯綜しながら身体の輪郭を際立たせていくみたいな独特の質があって、それが運動の魅力だけにとどまり、余計なスペクタクル的要素をむしろそぎ落としていくのがすばらしいと思う。これでも贅言で、私には他に言うことは無い。
今回はたまたま運良くイシデさんのダンスが見られて幸せだった。次の僥倖を願う。

小林嵯峨<夕湖 博美 流目乙>×宮下省死
『白妖(はくよう)』
7月26日(土)&28日(月)19:30、27日(日)16:00
会場/神楽坂die pratze
音楽/石川雷太(Erehwon) 音響/安達がらん 照明/しもだ・めぐみ
http://www.geocities.jp/kagurara2000/dance10.html

28日に見に行った。

舞踏というと、スペクタクルに傾斜していく方向もあって、この公演はそっちで、ちょっといただけなかった。てっきりデュオかと勘違いしていたが。小林嵯峨さんの公演としてもベストではなく、宮下省死さんの公演としてもベストではなかったと思う。
小林嵯峨さんというとこんなの書いていたな。
http://d.hatena.ne.jp/yanoz/20050727/p3

若尾伊佐子さんが嵯峨さんの舞台に出た公演はとてもよくて、嵯峨さんが卵と戯れるところとか印象深く、ディープラッツのフリーペーパーかどこかにレビューを書いた気がするけどネット上には無いようだ。

武藤さんの感想があった。
http://blog.goo.ne.jp/d-muto/e/5a4e1059626a1651026cb28ecae4edcc

宮下省死さんは『神聖マラ』はすごく良いけど『神聖マラ』に小林嵯峨さんを出すのは逆効果と思ったので、そもそもそういうコラボレーションとか得意ではないのかもしれない。『神聖マラ』は必見。

*1:なぜかずいぶん検索してよみにくる人がいる。