『船、山にのぼる』と『船をつくるはなし』

映画『船、山をのぼる』がアンコール上映されるとのこと。
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この機会に、4月にユーロスペースで上映されたとき見たことを思い出しながら感想を書いておきたい。

※予告編

本作は、広島県北東部・灰塚を舞台にした壮大なアート・プロジェクトを描いた作品である。「ダムを作る」ことによって何が起きるかを可視化したのは、美術家と写真家と建築家からなるユニット・PHスタジオ。1984年に発足した彼らは、「家具」「家」「都市」といった既成の枠組みを「棲む」というキイワードでそれらの解体と再読を試みてきた。その中でも、1994年〜2006年に取り組んできた、森の引越しプロジェクト「船をつくる話」は、最も長期にわたるプロジェクトとなった。
監督は自らの故郷を描いた『ニュータウン物語』の本田孝義。
「故郷が水没する」という圧倒的なマイナス状況の中で、コミュニティーや環境に対して、アートに何が出来るのかを描き出した本作。
ドキュメンタリー「船、山にのぼる」が完成

監督自身が言っているように、『船、山にのぼる』という映画は、PHスタジオ側からの依頼から始まっていて、『船をつくるはなし』から派生したプロジェクトのようになっている。『船をつくるはなし』プロジェクトの魅力に巻き込まれなければ、本田監督も映画を完成させなかっただろう。
けれど、映像作品それ自体として、『船、山にのぼる』は良い作品であると思う。

映像作品としては、船が作られていくゆっくりとした長い時間、ダムの完成がおくれ、プロジェクトが延期される時間が映像経験として定着されていることに感銘を受けた。たった1時間半ほどの映画なのだけれど、説明を最低限に留め、過剰なドラマを持ち込まないことによって、12年というプロジェクトの時間、その淡々とした持続が伝わってくるみたいだ。

ダムに水がたまるまでの待機の時間が示された後に、船が浮上し、移動していく様子が映される。ほとんど孤独な作業と言える、冬のダム湖のひっそりとしたイカダの移動、その閑散とした様子をひたすら定着するのに贅沢に作中の時間を割いている。水面と、イカダと、水平の移動。寒々とした空気。その質感がいまでもしっかりと刻まれている。

私も、『船をつくるはなし』について紹介する記事を日経新聞で読んで感銘を受け*1、プロジェクトについて知りたいと思って映画に足をはこんだのだった。

映画で描かれた範囲で、『船をつくるはなし』のプロジェクトについても若干考えておきたい。

アオキ ハルオさんの

ただ、私はこの映像を見ながら、どことなく違和感を感じていた。
それは、本当に船をつくるという「アート」が、地域の人たちの役に立っているのかどうかが分からなかったからだ。
http://nekodemo.tea-nifty.com/nekodemocom/2008/04/nekodemo_68a1.html

という疑問については、font-daさんの次の議論がほとんど答えを与えているように思う*2

 映像の中でも、反ダム闘争のリーダーだった人が、「ダムに沈むというのはマイナスでしかないのに、この『船をつくる話』は、なんかおもしろいじゃない?そこがいい」というようなことを言っていた。映画では描かれないが、地元住民の長い闘争の中には、苦悩があり葛藤がある。そして、自分たちの選択だとはいえ、水に沈めなければならないことに、身を切るような辛さがある。しかし、「船をつくる話」はそういった心理的側面をまったく取り上げない。外部から来た芸術家たちは、外部の人間として、よくわからないことをして、去っていくのだ。

 あまりにも鮮やかな、フェアリーテールの現出がそこにあったので、感銘を受けた。
本田孝義「船、山にのぼる」 - キリンが逆立ちしたピアス

映画の中でも、PHスタジオの人たちが、地元の一人一人に語りかけている様子が何度か描かれていて、必ずしも地元の人たち全員が強く興味を持っているわけではないことは示されている。むしろ、PHスタジオの人たちが、自分たちのビジョンを実現したいという思いから、「こんなことをしたい」、と地道に語りかけていった姿勢が重要だと思う。

地元のためにアートが貢献します、と言って歩いたわけではないのだろう。ただ、森の木を船にして浮かべ、移動させる、という芸術的なビジョン。何のためでもない、ただの芸術に理解と協力を求めて、地道に粘り強く、地域に入っていった、ということなのだと思われる。ただの芸術を、地域の人は受容し、それぞれに意味づけた、ということなのだろう*3

映画の末尾で、船が山にのぼるのを楽しみにしていた人が、間に合わずに亡くなってしまったということを地元の商店の方がPHスタジオのメンバーに語る場面がある。そういうところに、地域との関わりがどんなものであったかについて、本質的なことが描かれているのだろう。

おそらく、はじめはアートになど関心のなかったであろうような人が、魅力を感じていくのは、やはり、船を作って浮かべて山にのせるという、壮大でシンプルなビジョンの力だったのではないかと思う。

映画の中であまり十分説明されていないことと言えば、むしろ、『船をつくるはなし』が「ŠD’˃A[ƒXƒ[ƒNƒvƒƒWƒFƒNƒg」から離れて、独立したプロジェクトにならざるを得なかったこと、そして、そうであるがゆえに成功した、そのゆえんだ、と言えるかもしれない*4


ネットTAM:アートマネジメント総合情報サイト
では、

「ダムで沈みゆく村」にアートが問いかけてきたことに対して、工事関係者や建設省(現国土交通省)も協力してくれたそうで、ちょっと驚きました。アートならではの力が動かしたのでしょうか。

といわれているけど、これはすこしナイーブすぎる見解かと思う。

「灰塚アースワークプロジェクト」自体に行政が関与しており、そこから派生した「船をつくるはなし」も、その文脈で行政側が協力しやすい状況がある程度すでにできていたと推測される*5

「灰塚アースワークプロジェクト」が、すでにアートによる地域への貢献を目的のひとつとしたもので、そこには、行政自体が、開発計画を頭ごなしに進めるのではなく、地域との理解を得ながら地域の環境整備を進めていきたいという姿勢を示していることがうかがえる。行政機構と住民がコミュニケートするきっかけや方法を与えるものとしてアートは歓迎されている。

逆に言えば、行政なり資本なり、開発を進めたい側にとって、封印したい過去に蓋をするために都合のよい道具としてアートが使われるという事態も十分考えられるし、すでにそうした仕方でアートが活用されているだろう。

芸術に関わるひとは、そのことにも自覚的であるべきだと思う*6

繰り返すが、『船、山にのぼる』で描かれた『船をつくるはなし』が感動的なのは、アートによる地域貢献とか、アートによる行政と住民とのコミュニケーションとか、ロンダリングとかといった回路からプロジェクトが自由になったからに他ならない。そう言えると思う。


山にのぼった船がグーグルで見られたらしい。船が朽ちていってもそれで良いと私は思う(新聞の記事では、終わったら解体するという条件で行政側は許可をしたが黙認されていると書かれているのを読んだ)。でも、こうして跡が残っているということ自体、さまざまな仕方で喚起するものがあるなと思う。

*1:たしか、PHスタジオの方が映画の完成にあわせて文化欄にプロジェクト全体を振り返る記事を書いていた

*2:ただ、「「アースワークプロジェクト」を離れて、芸術家たちが独自のPHスタジオを組織。資金を調達し、「船をつくる話」というアートプロジェクトを始める。」というfont-daさんの説明は若干誤解を招くものだと思う。「船をつくる話」がアースワークプロジェクトから独立して継続されたのは事実だろうけど、それ以前から結成されていたユニットPHスタジオが「アースワークプロジェクト」に加わるなかから「船をつくる話」がプロジェクトとして立ち上がった、というべきなのだろう

*3:この点で、映画でも描かれる「えみき」の移植のエピソードは『船』のプロジェクトに複雑さを加えることになっている。『船』プロジェクトが触発した地元の独自の動きではあるが、そういう触発の力を持っていたということの意味を慎重に考えないといけない。私としては、あくまでも、『船』のシンプルな芸術のビジョンと、直面しての対話の積み重ねがそのプロジェクトの核心にあったからこそ、地元でも独自のプロジェクトが起こったということなのだと思う

*4:「灰塚アースワークプロジェクト」について私は公式サイトでチェックできる範囲以上のことは知らない

*5:もちろん、「灰塚アースワークプロジェクト」から独立したプロジェクトについて改めて行政に理解と協力を求めたのはPHスタジオの方たちの労力だろうし、その様子は一部、ダムの管理事務所との打ち合わせの情景を映す事で『船、山にのぼる』の中でも描かれている

*6:もちろん、アートによる「ロンダリング」に加担すること自体が良くないと言うつもりは無い