職業短歌と学園短歌
たまたまひまだったので栗原裕一郎さんの『電車の運転』評を読んだら短歌の話があった。
本書『電車の運転』はいうなれば「客観描写」や「定義」がひたすら書かれた本であり、鉄道に疎い評者には(中略)実験的な文学作品のように映ってしまう瞬間のほうが多かったのだが(中略)その「描写」や「定義」は、むしろリアリズム小説を読んだかのような感銘をもたらしたりする。
本書は各章の扉に(中略)「鉄道文芸誌」から採られた「鉄道短歌」を掲げている。
〈入信(いれしん)の停止現示ににじり寄る電車とわれと一心同体 山田正男〉(第6章「安全のこと」)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20080714/165243/?P=2
上の職業短歌を読んでなぜか思い出したのでMixiに昔書いた学園短歌についての文章を以下に転載*1。
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いきなりですが、ちょっと短歌を引用してみる。
A:
ブラスバンド頼むよの声にすまし込んで川元君がタクトを上げる
ぼくたちの初演奏を見守る先生の眉がピクピク動く
中川君のドラム最後の一打ちにほっとしてみんな見合す顔だ
校歌合唱に消されてしまうぼくのクラリネットトランペットだけは高い調子
B:
身の中にマブチモーターを仕込んでるとしか思えぬ奴の素振りだ
元卓球部 現生徒会長木戸健太が毎日部室に来るので困る
例えるなら池上正雄は年老いたSF作家のような顧問だ
じゃがたらのことばかり話す先輩の前髪が眼に刺さりそうである
さて、問題です。AとBの歌の作者は誰でいつごろ作られたものでしょう?
正解
Aは岸上大作が高校生の時に作った歌
Bは、しんくわさんが高校卒業してからだいぶたってから作った歌
Aのような歌を読んでいて、しんくわさんの「卓球短歌」のことを思い出したわけなんだけど、わりと、似通っているのは、学園ものだからだろうか。それとも、似通っているのは表面的なことで、もっと本質的な相違がある?
しんくわさんの歌を見て、高校の国語の先生が、こういうのうちの生徒でもつくりそうだよ、とネットで言っているのを読んだことがあるけど、多分、作家的な意志のありかたが問題で、そう簡単に似ているからどうのと言える問題ではないはずなんだけど・・・・
(以上2005年8月22日のMixi日記から転載)
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かつて何か似てるなーと思ってそんなことを書いたのだけど、さて、そこからどう結論すべきかちょっとわかりませんが。
リアリズムとか写生とかっていまどきはやらないと思われがちな昨今だったような気がするけど、やっぱりあなどれない底堅さがあるような気もし始めていて、アウエルバッハの『ミメーシス』をはじめて読んでいる今日この頃。さすがに古典で面白い。
ミメーシス―ヨーロッパ文学における現実描写〈上〉 (ちくま学芸文庫)
- 作者: エーリッヒアウエルバッハ,Erich Auerbach,篠田一士,川村二郎
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 1994/02
- メディア: 文庫
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*1:前後の日記を探していて公開しても良いと思うものがいくつかあったので、あわせて過去の日付で転載した