与謝蕪村の夜色楼台図
もう7月。ちょっと前の話になりますが、GWに MIHO MUSEUM に行ってきました。もちろん蕪村展がおめあて。某宗教団体がやってるというのは知っていたけど、館長が辻惟雄さんだって後からわかって納得*1。とても趣味の良い美術館で常設展示も楽しめました。
辻惟雄 - Wikipedia
辻惟雄:縄文からマンガ・アニメまで…牧谿の幸い | 無精庵徒然草
蕪村の絵を見るのは今回が初めてだった。蕪村が気になるようになったのは、近代短歌とか俳句とかについて関心を持つようになってから、蕪村再評価と与謝野晶子の短歌がつながっているとか、そういう言及を目にしてからなのだけど、数年前の逸翁美術館・柿衞文庫共同開催の美術展のカタログを図書館でみかけて、それを一時期眺めて暮らしていたことがあって、絵画の方もいつか見てみたいと思っていた。
没後220年蕪村展
新発見の屏風絵もあるというのでこの機会にと滋賀まで遠出した。
『江戸俳画紀行』もこの間ちょうど読んだところで、俳画とか、芭蕉の『奥の細道』を描いたものとかも見てみたいとは思っていた。
江戸俳画紀行―蕪村の花見、一茶の正月 (中公新書)
でも、結局、夜色楼台図がすごかったという印象だけが残って、今も続いている。図版で見ていたときは、「ふーん、渋い絵だけどそういうものにも良さが認められているわけね、確かに独特の詩情があるよな」、くらいに思っていたけれど、実際にその前に立って、傑作といわれている理由がわかった。とても独特の雰囲気がじわじわと漂ってくる感じ。
それで、帰った後いろいろ本などを探してみて最近読んでいたのが平凡社の「絵は語る」シリーズの一冊
- 作者: 早川聞多
- 出版社/メーカー: 平凡社
- 発売日: 1994/04/01
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「夜色楼台図」に用いられた技法がモチーフの扱いが、水墨画、山水画の伝統から微妙に外れているという美術史的なポイントを押さえつつ、画面の脇に記されている題詞の発想の源を、蕪村が生きた文化的状況の中から探り当てていく。想像力を喚起する筆致で当時の京都の風情を描きながら、徂徠学や法然、親鸞を経由しながら蕪村と芭蕉との関わりを語っていく。そして蕪村の思想のすべてが結晶したものとして、画面を解釈してみせる。与謝蕪村が生きた文化的な伝統を総体として浮かび上がらせてくれる本だった*2。
門外漢なので、早川氏の解釈にいろいろ専門的な突っ込みが入る余地があるのかどうかわからないし、いろいろ深読みしすぎなところがあったりするのかもしれないと思う。
絵画のイコノロジー的というか、図像(解釈)学的な読み込みみたいなものを抜きにして、絵の印象に触れていればよいという姿勢も間違いではないと思う。
ただ、早川氏が「夜色楼台図」に出会った衝撃を率直に語り、その言葉以前の印象を最後まで大事にして、江戸時代の記録のなかに分け入っているのは明らかで、自分が MIHO MUSEUM で感じた印象が早川氏の論述によって邪魔にされるようなことは無かった。
「夜色楼台図」を見ることができたのは私にとっても本当に幸せなことで、今までいろいろミケランジェロとかゴッホとか美術史に残る傑作はいろいろ見ることができたけど、世界史的な傑作に触れた経験にも勝るほどの良い経験だった。
人の生涯を左右するほどの絵というのは、やはりそれだけ含蓄のあるものなのだということがわかる一冊。