重みというなら単位であらわせ
田中角栄が演説でやたらと数字を使ったという逸話があるそうですが、言葉なり文章なりに説得力を持たせるのに欠かせないのは具体性だというわけです。で、わが身を振り返ると・・・
「死刑があるべき理由」を考える人は国際刑事裁判所があるという事実、その歴史の重みを思い起こしておいても良いのではないか
http://d.hatena.ne.jp/yanoz/20080524/p1
と前回書いていたんですが、「歴史の重み」っていういささか陳腐な比喩に流されているあたりにごまかしがあるわけです。どういう重みなのかという部分をきちんと伝えられればもうすこしましな文章になったはず。
と内心くよくよ思っていたこのごろ、こんな文章を読んだので引用してみましょう。
イスラエルが無視してきた国連決議―これを一部ずつ積み上げるとその重量は九キロを上回る―は国連の名によるただ一人の派兵にもつながらなかったのに対し、イラクをクウェートから撤退させるため「必要なあらゆる手段の行使」を認めたわずか数グラムの安保理決議六七八号は、数百万トンの爆弾の雨に翻訳されたのである。
これは鵜飼哲さんの『抵抗への招待』(みすず書房)という本からの引用です(p.319)*1。
鵜飼さんがベケットと政治との関わりについて講演したのを聴いたことがあり、そのことはここに以前書いていました。
http://d.hatena.ne.jp/yanoz/20050717/p1
この人のフランス仕込みの思想というか批評の姿勢というのは伊達ではないな、と思って感銘を受けた。いつかちゃんと読みたいと思っていたんですが、国際法のことを考えていた最近、豊島区の図書館の書架で見かけて借り出した次第*2。鵜飼さんが、どういう風に件の重さを確かめたのか知りませんが。