何度も見た人に薦めたいポタライブの見方

弟夫婦が遊びにくるというので、木室陽一さん作のポタライブ死者の書」に誘って一緒に見に行った。弟が友達と呑みたいといいはじめて、その友達もせっかくだからとポタライブに招いた。弟夫婦とその友達は、普段自分から演劇とかダンスとか見たりしない人たちだ。

休日の夜の、吉祥寺の駅に向かう。木室さんひとりが改札前でパフォーマンスを始めるのだけれど、しばらく、うつむいたまま動かず、ようやく動いたと思ったら、ぐるぐる歩き回るだけだったので、ちょっと心配した。

何が心配かって、はじめてポタライブなんて見る弟達が、途中で飽きてしまうのではないかと気がかりだったのだ。はじめは、「ダンスの公演を一緒にみよう」と誘った。「街頭でやるもので、うまく説明できないけど、まあ、見てみればわかるから」とあいまいな説明だけしたので、弟たちも、不審がりながらもついてきてくれたというところだった。

吉祥寺の駅ビルの地下通路をとおりぬけたり、階段を上がったり、おりたり、また改札のまえに戻ったり、移動する木室さんのあとをついていく。そうしている間に、木室さんの動きが、次第次第に素人目にもダンスと見えるものになっていく。通り過ぎる人々の流れを縫いながら、すべるように、流れるように、踊る。

はじめは、ちょっと困ったという風ににやにやしていた弟達が、木室さんのあとを追いかけていく間に、食い入るように木室さんの様子を注視するようになっていた。

夜見た「死者の書」は、公演が進むにつれて駅ビルのシャッターが下ろされていって、さっき通れた場所が通れなくなったりする。フードのついた衣装を着けた木室さんが、ある場所に出るときには気がかりな風にフードをつけたり、外したりする。そうしたエリアの相違に対する鋭敏さみたいな振る舞いが、何気ない通路を読み替えるように促す。出発地点のシャッターが降りて行くタイミングで、作品は閉じられた。

終演後、弟達と飲み直したのだけど、なにやら興奮している様子で、感想を話してくれた。弟は、あれだけ激しい踊りをしているのに、気に留めないで通行しているのを見て、自分が音楽をやっているってことも世間からみたらあんなものなのかなとか考えたと言っていたりした(弟はアマチュアミュージシャンで一時期プロを目指していたこともあった)。

そう弟が言ったら、弟の友人は、いや、けっこう見ている人がいて面白かった、と言っていて、そんな正反対のものもふくめて、いろいろな見方が出てくるってことを生で実感できただけでも面白い、と弟は言っていたりした。
弟の友人からすると、ポタライブみたいなものを真剣に見ている人たちがいる、ということ自体が、とても興味深く、この人たちは一体何なのか、と思って、木室さんを取り囲む人たちの輪と、その周囲の通行人とをそれぞれ見ようとしていたようだ。いつの間にか、隣に常連さんが居てびっくりした、とも。

この日は、岸井さんも観客として見に来ていて、一緒に見に行った私の妻も、弟の友人がいつのまにか岸井さんの隣で見ているのが面白かったといっていたのだけど、岸井さんは、まったくポタライブを見たことが無い人が、いぶかりながらも、短時間の間に観客として成長していくところが見られて面白かった、と言っていた。

岸井さんは「演劇では、見ている人の状態が演劇の重要な一部だと思います。」と語っていて
http://www.wonderlands.jp/interview/008/04.html#04_1
「人と人がきちんとコミュニケートしているなら、集団はそこにある。それを使った表現が演劇だと思う。」と述べている。
http://www.wonderlands.jp/interview/008/05.html#05_2

弟たちを誘ってみようと思ったのは、木室さんが踊るポタライブならダンスファンとか演劇マニアじゃない、一般の人にも通じるクオリティがあるだろうと思えたからでもある。とはいえ、自分としても初めて見る作品で、どう受け止めてもらえるのかすこしひやひやしながら、ほかの三人の視線を意識しながらも見ることになったのだけど、作品の力が弟達を巻き込んでいく様子を見られたのは良い経験だった。

ポタライブを見に行くこと自体が、作品への参加に他ならないし、そこから進んでワークショップを受講し始める人も少なくないのだけれど、今までポタライブを見たことの無い、演劇やダンスと縁の無いような友人や知人を誘って一緒に見るということが、作品をさらに劇的なものとして立ち会う最上の方法ではないかと思う。誰と見るかをコントロールすることで、作品を左右する権限が、観客にゆだねられている、とも言える。

以前、リピーター割引的なことをポタライブでやっていたけど、むしろ「一見さん割引」的なことを積極的にするべきではないか、と思ったりもする。ちなみに、私は弟夫婦とその友達分のチケット代を自腹で払って見てもらった。それだけの愉しみがあった。そういう愉しみをもっと広げてみたいとも思っている。観客の側から仕掛けられることもいくらでもあるのだから。