『現代短歌分類辞典』(1)

すこしむかしMixiに掻いた、じゃない書いた文章を引っ張り出してきて載せてみる企画(1)。

ある日、母校の図書館の地下に下りて書庫を漁っていたとき、津端修編『現代短歌分類辞典』が並んでいるのに目がとまり、手にとって見た。

奥付を見ると、

イソラベラ社 昭和29年3月10日初版発行、定価180円

とある。
300頁余りで文庫本サイズ。

明治、大正、昭和の間に作られた歌を、用いられている言葉によって分類するという趣旨の辞典で、16万首をカードで分類したと第一巻には書いてある。16万首・・・・どのくらいの「体積」だろうか。

果たしてこの本は、どれくらい、知られているものなのだろうか。短歌に関わるひとなら、ああ、あれね、とうなずくもの、なのだろうか。

窪田空穂、尾上柴舟、土岐善麿山田孝雄といった著名な歌人、研究者が序文を寄せていて第一巻の巻頭に掲載されている。権威を持たせようとしたものらしい。

そのなかの一人、佐々木信綱が書いた序文から引用してみる。

明治四十三年、時事新報の選歌を自分が担当してゐた時、君の処女作といふべき、「なにゆゑにかくは心の寂しかる岡の上より夜の街見て」を秀句の作として採ったのが、君の歌への関心のはじまりであったといふ。まことに長い年月の縁であったことを思ひ、よい種をよい土に蒔いたことと、喜ばしい。

太田水穂は、こんな序歌を寄せている。

 二十年短歌分類をこつこつとやり居る君に盃をぞ送る

第一巻の収録項目は「あ」から「あかき-を-ば」まで。文法的な相違も分類に反映しようとしていて、形容詞「赤し」の連体形「あかき」だけで、100ページ分くらいの歌を収録している。

第一巻末尾の編集おぼえ書には、「赤石」という山を詠んだ歌にでてくるのが、静岡県と長野県の間の赤石岳なのか、長野県と群馬県の間の赤石山なのか確定するのに、若山喜志子に手紙を送って確かめたなんて話が書いてあったりする。

若山女史から「岳と山の区別があるなら赤石岳と訂正しなければなりません」という返事があった旨がおぼえ書きに記されていて、収録されている歌は赤石岳になっている。辞典の編集作業を通じて短歌の改作までさせてしまう勢いなわけだ。

そんなペースで進めていて、ちゃんと刊行が終わるんですかと、助言する人も居なかったのだろうか・・・・

閉架の本棚にずらっと文庫本サイズのア行ばかりの「辞典」が並んでいるのを見たときには、これはどこまで刊行されたものなんだろうか、途中で投げ出されてしまったのだろうか、と思ったものだった。

武田祐吉の序文には、「せめて五年ぐらゐで出版が完成して」欲しい。とあるのだけど、昭和55年(1980年)に五十四巻まで出して、津端修氏は亡くなってしまうのだった。そして、五十四巻まで出しても、まだア行が終わっていなかった(!)のである。

それで、どうなったかと言うと、息子さんの津端享氏がこの辞典の発行を引き継ぐのだった。津端修が残した54巻にさらに50巻を加えても、まだ、ア行なのだった。

(続く)