谷保→保谷プロジェクト#3

 というわけで、先日、自転車で近所のスーパーに出かけたとき、これは少なくとも江戸時代にさかのぼる村落の跡だな、という風景を見つけた。だいぶ疲れた感じの古くさびれたスーパーの脇に、風化して苔むした石碑が立っていたりする。道路の拡幅計画が途中まで進んでいて、スーパーの直前まで立ち退きでできた空き地が迫っていた。

 こんなところに郵便局があるのは、これは昔のこのあたりの名家が特定郵便局をやっていたということだな、とか思いながら、寸断された江戸時代の道をたどってみた。
 この道はこのバイパスを超えて、あそこの辻につながるんだな。と思いながら進んでいくと、最近造成されたような建売住宅の向こうに古い農家の蔵が見えてきたりする。かつての農村の風景が頭に浮かんでくる。そうして、自転車で踏み切りを超えて、駅前の方向に進んでいくと、江戸時代の古道の脇にそびえたつ建築中のタワーマンションが目に飛び込んできた。
 村人の往来を幻視していた視野から、まさかそんなところにマンションが建っているとは住民は疑いもしないのだろうな、と、ちょっと興奮しながら思った。まさに、一人ポタライブという感じ。自転車で回ったほうが語源的には正しくポタライブなのかもなあとか思った。

 芸術作品というのは、その中身よりも、作品の形に触れることで、ものの見方がいかに変わるかということの方が重要なんじゃないか、と前から思っているのだけど、ポタライブに触れることで風景がドラマとして見えてくるということが僕にとっては重要なことだ。創造の必要というのはそういうところにあると思っている。

 だから、別に劇場に足しげく通うことが劇に出会うことだとは限らないと思うのだ。