哲学/考える

あまり深く考えもせず、歴史の勉強でもしようかと思って浪人生活を送っていたころE.H.カーの『歴史とは何か』とかいう岩波新書を読んで、「心理学とか哲学とかを勉強したほうがより原理的なことが理解できるのかも」とかと思い、立命館は落ちて法政には受かったという理由だけで哲学科に進学した私なのだけど、その挙句大学院も法政の哲学専攻に10年ほど在籍するという人生の浪費をしてしまったのだけど、その結果として思い知ったのは、僕って考えるのがほんとに苦手だなあということ、ほとんどそれだけなのである。

見えたこと、気付いたことについて、あれこれ言ったり書いたりするのは楽しいけど、答えが見えないことに耐えて考え抜くということがほとんどまったくできない。

哲学研究の世界に出入りして、哲学の問題を考え抜くことが出来る人を目の当たりにしたりすると、ますます、自分にはものを考えることができないのだなあと思わざるを得なかった。

そんな思考停止のひとつの産物として最近あらためて思うのは、「あったことはなにがあっても決してなかったことにはならない」ということだけ最低限信じておけばいいや、ということだ。

あったことがなかったことになってしまう世界というのを考えることはできるのだろうけど、それは途方も無いことだなあと思う。

思い出すということだけですでに経験しえないものにすこしは触れているのだなとか、大学院で、たらたらベルクソンとかを読みながら、つまり死後の世界というのは世界の過去に他ならない、と、そんなことを思ったりしたこともあったなあ。

(2008年7月30日 mixiから転載)