蕗子さんのこと

 高柳蕗子さんは妻がお世話になっていたこともあって蕗子さんと勝手に親しみを込めた呼び方をしてしまうのだが、高柳蕗子全歌集を紹介するついでに、かつてMixiに書いた蕗子さんについての文章に手を加えて公開してみる。なにかの参考にしていただければ幸い。


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東直子の第一歌集『春原さんのリコーダー』についてくる栞には作家の小林恭二が文章を寄せている。東直子をいかに見出し、後押ししてきたかについて語っているのに、「いま一番いい歌人は高柳蕗子だということで飯田龍太と意見が一致した」、という話にわざわざ一段落を費やしている。
これを読んで、高柳蕗子という歌人がいることを初めて強く意識した。


その栞を読んだのと同じ頃手に取った『短歌ヴァーサス』誌の第5号でも、穂村弘の連載「80年代の歌」で高柳蕗子を取り上げていて、ともかくユニークな歌人であることを極めて説得的に語る文章が印象深く、この名前を覚えてしまった。

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とりあえず、母校の図書館に高柳蕗子の歌集がないかな、と検索してみることにした。


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「高柳 蕗子」と入力して検索してみると、母校の図書館に高柳蕗子歌集はなかった代わりに検索に引っかかってきたのは『高柳重信全集』全三巻(装丁は吉岡実)なのだった。

高柳重信全集 (1)

高柳重信全集 (1)

「蕗子」というタイトルの句集も収録されているらしい。さっそく借り出して読んでみた。

てっきり、蕗子さんが生まれてから、わが子にちなんでそういうタイトルをつけたものかと思い、ほのぼのとした家庭生活が描かれているのかと紐解いてみたら、蕗子さんが産まれる前、結婚すらしていないころに出された句集のタイトルであることがわかった。その事実だけでもそれなりに衝撃をうけた。

句集『蕗子』の跋を読むと、「蕗子という名前にあこがれている、いつか、蕗子という名前の女性と出会うのではないかと思う」、とか書かれている。ちなみに、句集『蕗子』が展開しているのは、ほのぼのとも家庭とも生活とも一見無縁な、きわめて技巧的で審美的で、どこか退廃的でもあるような、悔恨に彩られたとでもいえるような世界なのだった。

そういう、ある種父親のオブセッショナルな領域に関わるような名前を持った娘として育てられるということは、なかなか大変なことじゃないかとか、第三者的にも勝手に思ってしまう。

岩波 現代短歌辞典 普通版
ところで、『岩波現代短歌辞典』の大項目は、その事柄の当事者に執筆をゆだねるという編集方針を採っているようで、たとえば天皇制は岡井隆、口語短歌は俵万智という具合になっているのだが、「父」の項目は、高柳蕗子と署名されているのだった。