野矢茂樹 哲学と詩とか
連休に母の実家に帰省した。中部地方の山奥の村である。墓参をかねて散歩していると、同行していた妻が「コーラのみたい」と言い出した。幸い財布を持ってきていた、が、自販機の前で財布をあけると5000円札しか入っていない。「コーラのみたかったコーラのみたかった」と妻が言うので、村の商店街のタネやら乾物やら雑貨を売っているお店で何か買って5000円を崩そうかと思ってのぞいてみたら「中央公論の5月号」が売られていた。
表紙に「やっぱり哲学は面白い 木田元/筒井康隆×野矢茂樹」とあるので、名前の組み合わせにつられて買ってみた。なんでいま哲学なのかと思ったら、記事の傍らに『哲学の歴史 第11巻 論理・数学・言語』の広告が。これは今年毎月刊行されている中公の新シリーズ。
つまり筒井康隆のファンあたりに哲学書を売りつけようという中央公論社の目論見なのだった。
対談では、筒井康隆の半可通ぶり全開な振りにたいして、哲学のセールスに徹する野矢プロ。
野矢 (略)下手をすると言葉遊びになってしまうようなレベルから、自分の頭で考えることができ、かつ人と議論していけるようなところに問題を落としていく。そこが、すごく大事で、具体例は本質的に大事だと思います。
筒井 そう、落としていく。ウィトゲンシュタインは、それがないんだよ。(笑)
野矢 それは、気取っていたから(笑)
なんてやりとりが楽しい。(気取りですませちゃうのかよ!)
そんな雑誌をゴロゴロ寝転がって読んでいたら「家族の会話に参加しろ」と弟に叱られた。
ところで、思い出したのですが『現代詩手帖』1977年4月号の投稿欄にこんな作品が載っていました。
消える輪郭 野矢茂樹
闇に居れば
息つめざるを得ず
指をたよりに微かな振え
凹凸にも怯え
見開いても
目は麻痺した筋肉に過ぎなかった
<ジェッペットじいさん ぼくは年とる!>
日暮れ
影は伸びつづける
母親は死人を産むに過ぎない
老いた薪に過ぎない
老魚よ
ぬるんだ海を飲め(以下略)
選評欄を見ると「この詩が絶対的にいいというのではなく、未来があるという感じで入選にしたわけです」(粕谷栄市)などとある・・・・。
現代詩手帖のその号を持っているのは「舞踏特集」だから。なんですが、
http://albatros2.blog27.fc2.com/blog-entry-308.html
を見ると、野矢茂樹さんの教え子さんが「野矢先生は昔投稿なさっていたそうですよ。本人から聞きました。」と言っているので、若い頃の野矢さんの投稿は他にも探すと見つかるのかもしれません。
「教養のためのブックガイド」小林康夫、山本泰編 の紹介を見ると
http://www.mainichi.co.jp/life/kyoiku/edumail/archive/reading/200505/13-04.html
学生時代、「西脇順三郎詩集」(思潮社現代詩文庫)と「眼球譚」(バタイユ著・角川ソフィア文庫『マダム・エドワルダ』所収)を愛読していたという野矢茂樹助教授(哲学)は「その2冊は全身で受けとめようとした。
んだそうで、むーん、西脇はわかるけどバタイユは予想外でした。