70’sの風景

yanoz2007-03-18

 出勤するときいつも東京駅で乗り降りして1年と少し。八重洲口の駅ビル再開発が着工しておよそビルの全容が見えてくるまでほぼ毎日工事の進捗を見てきた。完成予想図も何度も目にしてきた。
 それで、ついこの間まで、今たっている大丸のビルが取り壊されることに気がつかなくて、そのことに気がついたときに大げさに言って軽く滅ぶくらい驚いてしまった。「ああ、大丸のビルこわされちゃうんだ、何かずっと立っているものと思ってた」という他人事ながらの感慨。
 まあ、大丸のビルが保存されるべきだとも思わないのだけど、ほとんど誰からも惜しまれないで消えていく風景というものがあるのだなあと漠然とした寂しさと共に思う。
http://ama.no-ip.com/ekiguide/tokyo.htm
 自分が生まれた頃の風景や雰囲気はやはり自分の感受性の基層をなしているのではないかと思ったりもする。土方巽の映画とか見ても、70年代的風景を背景にして舞踏の形成を考えないといけないのではないかと思ったりしたこともあった。そんなことを思いながら、ちょっとずつ取り壊しに向けた準備が進みつつある大丸ビルの下を通って明朝も出勤する私です。でもこれは、個人的な感慨には終わらない何かなのかひょっとして、と思ってとりあえず書き付けてみた。

追記

今日大丸のビルの下を歩きながら、70年代に建てられた建物じゃなかったんじゃないかと思い当たって調べてみた。大丸東京店は54年開店だとか。とするとあのビルも54年築なのかなとおもって検索かけてみたらこんな議事録が出てきた。
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/016/0512/01608100512039c.html
「東京駅八重洲口に現在建設中である鉄道会館ビル、地下二階、階上十二階の高層建築に関する問題でありますが」(第016回国会 本会議 第39号 昭和二十八年八月十日(月曜日))ってことで、50年代に建てられた建物なのらしい。

しかし、大丸のビルを70年代の風景だって思った自分の最初のひっかかりが何に由来するのなのか
もうちょっと考えてみようと思いました。

http://red-train2000.at.webry.info/200608/article_1.html
大丸のビルを残念がるひとひとり。

ついでにメモ。
http://www.office-now.co.jp/column/column_n39.html

(3・19)