大量生産品のように生まれてきた

今日新聞の整理をしていて、たまたま今年の朝日新聞1月9日の夕刊に詩人の水無田気流さんが寄せた文書を読んだ。

家族で出かけるというと、パンダを見ても、つくば万博に行っても、いつも人ごみにもまれていた、と回想しながら「考えてみれば、私は(中略)大量生産品のように生まれてきた人間である」と書いている。

それで、ふと思い出すのが柳沢厚生労働大臣の発言のことなんだけど、いまさら一大臣の発言がどうこうという以前に、それぞれ多かれ少なかれ互いに機械として扱い扱われているような世界に誰しも生きているのだった。

少子化」を解消すべき問題と考える限り、生む力のある人を問題解消の手段とみなさざるを得ないということを、柳沢発言は示しているのだろうと思う。その意味では、行政の立場を非常に正直にあらわした発言ではなかったかと。

とかなんとか書こうと思ってちらちらネットを見ていて、思い切り忘れていた論点を思い出させてくれたのが次のエントリーだった。

切りきざまれる胎児を凝視する中で - sugitasyunsukeの日記

このことを忘れちゃいけなかった。

(2008年7月30日 mixiから転載)