『エンジョイ』論中間まとめ(素描)

2月中にはある程度感想サイトまとめの記事を書き上げようかと思っていたのだけどちょっとその余裕が無さそう。このまま何も書かないままフェイドアウトするおそれもあるので、一応の現時点での私の『エンジョイ』についての結論をメモしておく。

http://chelfitsch.exblog.jp/m2006-12-01#5179284
に、「それにしても公演中に青島幸男がなくなった偶然。」と書かれていて何のことかなと思ったのだけど、新宿西口地下からホームレスを強制排除したのが青島都知事だったということを後からある人に教わった。すっかり忘れてたな。それで、青島都知事の会見での言葉が引用っていうか、カットアップというか、されていたそうだ。

その辺り、件の「排除アート」への参照がさりげなくなされていたのと同様の、ある種記号のちりばめかたがなされていたというわけだ。しかも、そういう行政への応接というのが、わかる人にはわかる、という仕方でなされている。

『エンジョイ』は一方で、「解釈されるべきもの」として提示されている。解釈についてはソンタグの「反解釈」での議論を参照。

スピノザについてレオ・シュトラウスか誰かが「二重言語」ということを言っているとかと院生のとき先輩から聞きかじったことがあって、政治的に危険な主張をするとき、表向きは正統な教義に従っているようで、わかるひとには、正統を批判する内容であることがわかるような書き方の流儀があったということだ。

『エンジョイ』も、表向き、新国立劇場で上演されて差しさわりの無い無難なもの(形式的にも内容的にも)として作られているが、中身を良く見ると、いろいろオーソドックスなものに対する違和を仕込んでいる、そういうものだったと思う。それが、表面的にはオーソドックスなものとして、体制的にも許容できる社会性を持ったものとして読めるが、細部を見ると、全くそうではないものとして、かなりラディカルな体制批判を含んだものとして理解できる、そういうものではないかと思う。

新国立で上演されたからには、官僚向けの事業報告書の類も書かれるのだろうけど、そういうものを書く人も、スキャンダラスではないしかたで穏当な報告書が書けるような体裁が整っている。でも、まともな官僚にはちゃんと批判の矛先が自分に向かっていることはわかるのだろうと思う。

フリーターにとって「自由」とは何か

フリーターにとって「自由」とは何か

を国の事業を借りて紹介してたってだけですばらしいことだったのではないかというのがこの『エンジョイ』の「原作」を読んでみて思うこと。ていうか、正直原作の方が面白かったんですが。『エンジョイ』が無ければ読まなかったかもしれないので、紹介してもらってありがとうという感じだ。

「いまさらフリーター問題あつかうよりワーキングプア問題をあつかってほしかった」とかなんとか言ってた人には是非『フリーターにとって「自由」とは何か』も読んだ上で反論しておいてほしいものだと思った。

まあ、『エンジョイ』については結局こんなところですかね。他のひとの感想なんかも、まだ読んでないものはたくさんあるはずで、自分が気がついていないいろいろについて取り逃しているとところもあるかもしれないけど、大体のパターンは押さえたかなという気もしていて、しらみつぶしに読もうという気分にはならないのが今の正直なところ。

こんな感じでいったん締めようかと思います。

■関連記事(私が『エンジョイ』を主題に書いた文章)
http://d.hatena.ne.jp/yanoz/20061210/p1
http://d.hatena.ne.jp/yanoz/20061217/p2
http://d.hatena.ne.jp/yanoz/20061220/p1
http://d.hatena.ne.jp/yanoz/20061226/p1
http://d.hatena.ne.jp/yanoz/20061230/p1
http://d.hatena.ne.jp/yanoz/20070107/p1
http://d.hatena.ne.jp/yanoz/20070124/p1



(一部修正:2008/4/25)