ARICAの『キャラバン』

今日は、ARICAの公演『キャラバン』を見てきた。
なんだか久しぶりに舞台に感動してしまった。

衣装にしろ、小道具にしろ、まあとにかくいろいろとセンスが良い。場面場面が、現代美術のインスタレーションみたいな風でもある。

観客の生理をうまく心得ていて、緩急のバランスも良く、知的で抑制の効いたエンターテインメントだと思った。

かつて(10年以上前)メレディス・モンクの『フェイシング・ノース』のチラシを見て、ちょっと見たかったのだけど、どうしてか結局見なくて、そのことが心残りだったのだけど、そんなことを思い出したのは、二人の登場人物の生活する様を提示するような作品だったからか。

さて、何に感動したのだろうか。

商行為と経済に規定された生のあり方、みたいな、明快なテーマがありつつ、そこに簡潔なパフォーマンスが配置される仕方にだろうか。

多分、パフォーマンスの配置によって、空間が開かれていく仕方が心地よかったのだ。

黒澤美香のパフォーマンスは、ダンスのソロ公演よりも薄味な印象だったけれど、水割りは単に水増しではなくて、割ることでおいしくなる絶妙のバランスもあるはずで、そういう感じでくつろいで見られるものだった気もする。『天才少女スミレ』みたいな、息を詰めてみなくてはいけないようなものではなく。

まあでも、あんまり自分にとって心地よいものだったので、後になって、それはそれで、何か厳しさに欠けるものではないかという気になったりもした。

空間構成の簡潔さなどから、Lensの公演の印象も思い出したけど、Lensの方がより厳格なことをしているとも思う。


この公演では、基本的に、パフォーマンスのすべてが労働をあらわしているのであって、実際にドリルで穴をあけたり、ネジを取り付けたりする作業が遂行されたりもするのだけど、それがどこか労働のパロディーのように誇張したしぐさでなされたりもして、虚構として成立している。

衣装とかも、地下足袋をはいていたりとか、一面仕事着風なのだけど、しかし、和服のような作業着はファンタジー的というかSF的というか、架空の世界のキャラクターのようでもある。そういう虚構性はこの舞台のひとつポイントなのだろうなと思う。

実際のデパートなんかで使われていそうな搬入用のキャスター付の大きな鉄の籠みたいなものに、ダンボール箱が積まれていて、それを小型の自転車みたいなものでひっぱって入場、そんなものがぐるぐる回っている様子を見ているだけで十分面白い。

いろいろな仕掛けが展開されていく仕方は、とても簡素だけどシアトリカルな魅力にあふれていて、せりふはあっても会話劇ではないという仕方の展開は、演劇とかダンスとか「パフォーマンス」とか分類するよりも、端的に舞台芸術と言うしかないものじゃないかと思ったりする。

お店を開く場面、安藤朋子さんの口の動きがなんとも見事で、安藤さんの口でベケットの「私じゃない」を上演したら見事だろうとか考えてしまった。

付記:
http://www.wonderlands.jp/index.php?itemid=435
に、もう一歩踏み込んだレビューを書いているので、あわせて読んでいただければ幸い。未完成具合もふくめてわれながらよく書けたものだと思う(06・09・21)。