李禹煥 余白の芸術

STスポットの『創造者 remix』の公演を見に行くついでに横浜美術館李禹煥展を見に行こうと思った。
http://www.yma.city.yokohama.jp/exhibition/2005/special/03_leeufan/

李禹煥といえば、西郷信綱『古典の影』(平凡社ライブラリー)の表紙をすぐに思い浮かべる私。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4582761003/249-0162661-6188322
こんな風なストロークだけでできたような作品は何度か何かの展覧会で見た記憶がある。やはり一目見て記憶に残るし、李禹煥の名前はなんとなくいつのまにかこのストロークのイメージと一緒に覚えていた。

そういうわけで、今回の展示でも絵画作品の展開の方に注意がひきつけられるのだった。それも、白くというかアイボリーにというか、フラットに塗りこめられた画布の中央に太い刷毛で淡い暖色気味の灰色を「くっ」とひと捌きしただけの作品へと収斂していく手前の、様式が変化する中からひとつの形へといたる途上の、今回の回顧展では一番古いころの展示室が動きがあり展開もあって一番興味深かったし面白く見た。

きっとこれから先また次の展開があったりするのだろう。そういう、作家が次へむかって模索する軌跡が作品としてはっきり見えるのが絵画の場合は面白い。あと、「個人蔵」の作品が多かったのが印象に残る。売れてる作家ってことだよねと思う。

あと、横浜美術館のフロアが、マットレスというか絨毯というか、敷物がはがされていて、コンクリートがむき出しになっていたのが展示としては面白かったな。李禹煥の作品の簡潔さを引き立てるというか、それに響きあうものとして、むき出しのコンクリートが選ばれたというわけだろう。

それを考えると、天井がまったくつまらないものに見えてきた。美術館の天井というのは、ひとつ探求の余地のあるところだと思った。まあ、普通はほとんど誰も見ない場所なわけだけど。

それで、彫刻というか、石とか鉄とかの作品は、いまいち面白いと思えないまま会場を後にした。

どこかのおっちゃんが、展示してある石にぺしぺし触って、「作品ですから」って注意されて「え、飾りじゃないの?」と言ってたんだけど、ああいう作品ならいくら触ってもOKというほうがむしろ正しいような気がしないでもなかったのだけどね。どうも、展示室の空間と作品がしっくりきていない感じがしてしまった。その感じというのが、単に私の趣味の問題なのかどうか、判断を保留したままなのだけれど。

最後の、仮設の展示用の壁に「ぺと」っとひと刷毛灰色をおいた部屋には、ちょっと感銘を受けたけれど、あの壁はどうなったのだろう。