若衆とその仲間達

ダンスがみたい7参加公演。日によって演目が違ったようだ。8/15夜の回を見る。

前半は、二作品。
まず、ink Boatによる"Black Map"というソロ作品(進行中の作品とのこと。出演、コンセプト:シンイチ・モモ・コガ)。赤い綱に足を縛っていて、はじめその綱に体を絡ませて、ぶら下がっている。首にかけた綱でバランスをとったりしながら、その綱をほどいていって、最後は、綱に片足を委ねもう一方のあしでバランスをとりながらゆったりと舞ってみせ、最後には、綱から逃れるように激しく踊って見せたりする。

次に、雫(しずく:グループ名)による「道しるべの傍らにて」というデュオ作品(演出、出演:雫境(DAKEIと読むらしい)、出演、板垣あすか)。
はじめ、女性パフォーマーがお香を焚く逆円錐型の金属器をぶら下げてゆらしている。そこにもう一人のパフォーマーが現れ、ユニゾンでゆっくりとたおやかに様々なポーズをつくっていく。ポーズのそれぞれがくっきりと輪郭の際立ったもので、太極拳の形とか仏像が結ぶ印とかを思わせる。

二作品ともに、様式美の世界を作り上げていて、なめらかな運動の形態を描くことに身体運動が奉仕しきっている点で共通している。前半に出た人たちが若衆というグループとどんな仕方で関わってきたのか詳しくは知らないけれど、大駱駝艦から分派した若衆というグループが洗練させてきた様式や創作上の発想を共有していると言えるのかもしれない。

後半は、キム・ヨンチョル率いるSEOPというグループの「灰へのレクイエム」という作品から、若衆を率いる鶴山欣也のソロ、そしてYAN-SHU ANNEX(若衆のレギュラーメンバーにゲストが加わった臨時のグループなのだろうか、海外からのダンサーも参加していた)のグループ作品へと、メドレーのように切れ目なく上演されて、終わった。

ある種の様式美を目指しているという点では、韓国のグループの作品も若衆側の作品も共通するところがあったと思う。そういう共通性について考えていると、桜井圭介さんがむかし山海塾*1を揶揄して「タイトルの絵解きをしているだけだ」と言っていたのを思い出したりする。舞台の上に、身体をひとつの媒体として、美しい絵を描いていく、というかむしろ、絵に描いたように美しい舞台を作っていく、という志向というか。

ニブロールがサンフランシスコ舞踏フェスティバルに呼ばれて出たとき*2若衆も出ていて、そのときサンフランシスコのたしかエグザミナーとかいう名前の新聞に、舞踏フェスティバルのレビューが載っているのを読んだことがある。まあ、ずいぶんな酷評が載っていたのだけど、そこで、鶴山さんが演じたキャラクター(?)について、「おとぎ話の狼男のように恐ろしい」と揶揄していたのも思い出した。そのレビュアーは、若衆の舞台について、イメージを作ることには成功しているけど、イメージをなぞっているだけだ、ということが言いたかったのだろうと思う。鶴山さんのソロには、さすがに独特な表情が浮かび上がり、それなりの存在感も漂わせていると思うのだけど、しかし、それがあまりにわかりやすい絵になってしまうときに、身体がかもし出す気配は、見事に描き出された舞台表象に奉仕してしまうことによって、自らを裏切っているように思うのだ。

なんとなく思い浮かぶのだけど、若衆が進めた様式的洗練というのは、漫画の世界だったらたとえばCLAMPがやっている様式的洗練というのに相当するんじゃないかと思う。そういう美意識を様式的に内に閉ざすように洗練させていく*3ことで、ある種の大衆性が得られたり、わかりやすく安心して(ほどほどのスリルを楽しむように)見られるという意味で、(H Art chaosとかみたく)安定した観客動員につながりうるということはあると思うのだけれど、私などはそこに息苦しさを感じてしまう。

(8/16、8/19)

*1:たしか山海塾大駱駝艦から派生したグループだった。たとえて言えば、舞踏の世界で大駱駝艦というのは、小乗仏教に対する大乗仏教、原始キリスト教に対するカトリック教会、みたいな位置にあるのではないかとおもう。舞踏というジャンルを、体系化し様式化し、顕教的なものとして、ひとつのスペクタクルのジャンルにしてしまったのが、大駱駝艦であると言えるのではないだろうか。この、舞踏の体系化という点で、野口体操を基礎トレーニングに導入していることは大きな特徴と言えると思う(カトリックギリシャ哲学の普遍性を神学の基礎に導入したみたいに)。その健康で明朗なあり方。麿赤児という人は、たしかはじめ唐十郎かだれかとアングラ演劇の活動をしていたのだったと思うけれど、演劇から舞踏に行ったという経歴は、ダンスよりもスペクタクルを志向する麿というひとの発想のバックグラウンドを示唆しているように思ったものだ。

*2:フェスティバルのディレクターは、来日して舞踏を学んだこともある人だったけれど、舞踏というものを狭く閉じた様式としては考えていなかったからこそ、ニブロールを呼んだりもしていたのだ。ついでに言うと、ニブロール、若衆といっしょに呼ばれていたのは、Op.Eklectだった

*3:様式的洗練ということを考えると、マイルス・デイビスの60年代のバンドのことを思う。ある種、爛熟したモダンジャズの極みがそこにあるのであって、その退廃のきわみみたいなものがまだ最後の輝きを保っている。その行き詰まりから逃れるようにしてむりやり方向転換して、エレクトロニック路線に行ってビッチェズ・ブリューとかに転回していく志向が、事後的に見ると60年代中盤のプレイの中にすでに潜在しているようにも見える。そういう仕方で、もう捨て去らなければならない様式美だということがわかっているところで保たれている退廃ぎりぎりの姿勢だからこそ爛熟のきわみのなかにまだ精気が保たれているということなんじゃないかと思ったりする。録音に残されているのは、めまぐるしい生成変化の一断面だ。