ケイタケイ

7月22日夜、ケイタケイ'Sムービングアースの公演を見てくる。二作品上演。

「ライトpart4“ジクゾーパズル”」
初期作品とのこと。白い切片を床にしきつめていくプロセスが作品の軸になっているのは、タイトルそのまま。

ケイタケイ自身、三方の壁に立てかけられている不定形の、ガラスの破片みたいな矩形の板を順番に敷き詰めていく。傘をもった4人ばかりのダンサーがそこに乱入。ケイタケイとは直接交渉することなく、嵐に翻弄される人々の演技のような集団による活人画みたいな仕草を重ねたダンスを展開していく。

板がしきつめられていくと、傘を持った人々はのこりの場所に追いやられていって、時にはじゃまになって板をしきつめられなかったりするけれど、だからといって追い払うわけでもなく、見えないかのように板をしきつめようとする。やがて、板が完全に演技スペースを埋め尽くすときには、傘の人々は外に追い出されてしまうのだった。

ケイタケイの「ライト」シリーズは、何かのプロセスを遂行するというコンセプトなのらしい(全部がそうなのかどうか知らないけど今までみたものはみんなそんな感じだった)。そのプロセスは、個々の作業の積み重ねからなっている。そして、作業のひとつひとつに、ダンス的な誇張をともなった身振りが織り交ぜられて行く。

ダンスは、読み取られるべき形をプロセスに与えるための媒体となっているかのようだ。どのように解釈するかは別にしても、何かの寓意がいかようにも読み取れるようなドラマの原型をなすようなものが、作品の構造に織り込まれているのだとおもう。だが、プロセスそのものが身体の状態を変えるということはない。作品としての展開と身体運動は、どこまでも並行関係を保ち続けるかのようだ。

そこにケイタケイの作品の限界があるとも言えるのかもしれないけれど、それはそれで、舞台作品としてゆるぎなく構成されているとも言える。

「ランチ」
こちらは、最近の作品のようだ。セリフもあったりして、ドラマチックな展開を見せる幻想的でシアトリカルな小品。いくつかの場面がユニットとしてのまとまりをもっているようで、いくつかのモチーフが並行的な展開を見せる。食卓シーンが繰り返されるから「ランチ」というわけか。牡蠣殻がばらまかれて、それが片付けられたりというプロセスが織り込まれてもいる。ぼんやりとした照明に浮かぶ点景がさすがにゆるぎなく構成されているという印象。セリフまわしや身体の構え方や動きの質感もふくめて、ケイタケイの少女のままに年齢を重ねたみたいな特異性が際立ってくるかのようだった。ドリーミーな作品。