國學院大學公開古典講座 萬葉集 - 『巻十九』を読む -

受講した。

まずは城崎陽子先生。
万葉集の編纂と享受の研究』という論文を書いてらっしゃる方(これが博士論文なのかな)。若手の研究者というところか。

巻19 4254番の、題詞に「侍宴応詔」とある長歌を注釈しながら、宴で天皇のみことのりに応じて歌を詠むというのはどんなことだったのか、とか、それを予め作っておくというのはいかなることかと語りながら、歌を学ぶ必要から万葉集のような歌集の編纂がなされるようになったのではないか、とつなげていくという話。

学生向けの授業のノリが出て、「いつもはカラオケに例えたりしてるんです」「天皇よいしょしとけ、みたいな・・・・不敬罪ものの言い方ですいません」なんて言っているのがまあ面白くはあった。

予め作るのを批判する注釈の流れ(その場で詠まないから緊張感が欠けるとか、なんとか)に対抗して、予め作ることを肯定的にみたいというわけでした。

いろいろと歌に通じていて、いつでも一定レベルの良い歌を出せるようにしておくというのは歌人の「たしなみ」ではなかったか、と著書を引用しつつのお話。

「たしなみ」という言葉を鹿持雅澄の注釈書(『萬葉集古義』)から引いてきて土屋文明の万葉論とかをやんわり批判してみせる。なんとも学究的ですね。万葉学ってこういうものか、と、その一端に触れた気分。

鹿持雅澄とはこういう人らしい。
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/kamoti.html

しかし、家持のころには、書かれた歌の集積を見ながら一人で歌を作るようになっていたらしいわけですね。

件の歌では、「万代に記し継がむぞ」という言い回しがあって、万葉集で一度だけの用例だとか。語り継ぐじゃなく記し継ぐって言い方に工夫があって、文字が生活に浸透していたことをあらわしてますよねえ、という話。

他に本業がありつつ歌集を紐解きながら一人机に向かって歌を書き付けていたりするなんて姿を想像すると、まあ、今の歌人とそんなに違わないのかも、なんて思いますね。



そして、岡野弘彦名誉教授。

戦後60年でもあるし、両陛下もサイパンに慰霊に行かれたので、題を変えて話したい、と。

期待していた「幻を見る歌人家持」という話は聞けないのだった。生きていたら来年その話をしましょう、だって。ぎゃふん。

それで、巻20の防人歌に戦時中どれだけ感銘したかというお話をなさる。戦争体験を聞くという意味ではそれなりに有意義だったのかもしれないなあと思いつつ、やっぱりちょっと残念なのだった。・・・・まあ、本を読めば岡野氏の家持評価とかはだいたいわかることだったかもしれない。

家持が山上憶良に追和して作った「ますらをは名をし立つべし」(19、4165)の歌の心が、部下に防人歌を収集させる心に通じているのだ、と論をすすめてらっしゃって、そういう説も成り立つのかもしれないし面白かったけど、まあ、巻19という題に話をつなげるための方便でしょうね、これは。

折口信夫が言った「女歌」の再興という話が、中城ふみ子がもてはやされることでちゃんと理解されなかった、と語りつつ、古来、神の声を聞くのは女性だったというわけで、今後、和歌の伝統が女性の手で再興されることで日本の民族性も再興されるのでしょう、自分は立ち会えないだろうけど、みたいなことをおっしゃる。

そういう話の端々にあらわれるナショナリズムに根ざした倫理観みたいなものは、でも、そんなに押し付けがましいというものでもなくて、それは、古典をしっかり読み込むところで磨かれる人徳みたいなものが確かにあるということなのか。

ちょっと時事的な話もしていたけど、中国や韓国の「反日運動」が内政干渉的なものであったとしても、それに応答するのに戦争のことを真に深く反省するのでなく、同じ表面的な反発を返すようではだめだ、とかおっしゃっていた。

ともかく、こういう人が保守の側でもしっかりしていてもらわないと困るなあと思いました。

原稿も用意してない風で、余談とかも挟みながら、きっちり予定の時間ぴったりに終わるという、自在な語り口も見事で、万葉集の作品と自作とを朗詠する声もやっぱり素敵で、良い機会だったなあと思って帰ってきた。

巻19を「まきじゅうきゅう」と読んでいたのにびっくり。複数形は「まきまき」。

(2008年7月29日 Mixiから転載)