枡野浩一x正岡豊トークライブ

枡野浩一x正岡豊トークライブを新宿のロフトプラスワンに聞きに行った。

前半は『四月の魚』(個人的にずっと「しがつのさかな」って読んでいたけど、今回、「しがつのうお」って読むと初めて知った。)出版のいきさつとか、短歌を離れて俳句の世界に飛び込んだいきさつとかの話をしながら、正岡豊とは何者かを浮き彫りにしていくような流れ。枡野氏は聞き役にまわることが多かった。

安井浩司の『中止観』という句集との出会いについては、『短歌ヴァーサス』第六号 http://www.fubaisha.com/tanka-vs/backnumber.html の誌上歌集にも採録されている『四月の魚』の「初版後記」でも語られていたけど、その句集を手に取ったきっかけの話とか、安井浩司氏が永田耕衣の弟子だったということで、永田耕衣主宰の「琴座」に入ったのだということも聞くことができて、なるほどね、という感じ(正岡さんと「琴座」の関係はここに http://homepage2.nifty.com/masaoka/rirazatop.htm )。

『四月の魚』は歌壇で定番の歌集専門出版社みたいな所からは出さないという気概を持っていた、歌集も書店で流通すべきだ、と語る正岡氏に、そこは私との共通点なんです、と応じる枡野氏。

『未定』に安井浩司論を書いたとかおっしゃる正岡さん。ちょうど区立図書館から『未定』誌の富沢赤黄男特集号を借りていたところだったので私としてはタイムリーだった。

後半は、現代詩や俳句や川柳から、日本における海外の詩の紹介の事情も含めて、「詩」一般のなかに短歌を置いて考えてみよう、という話だった。短歌の話は最後の30分くらいで、その他のジャンルの話、とりわけ川柳の現状などが熱く語られた。

俳句界が有季定型に固まってしまった現状には政治的な排除があるんじゃないですか、なんて流れで、たとえば高柳さんとか政治的に排除されてないですか、と、高柳重信のことを話題にふる、枡野さん。それに、いや、高柳さんは今でも読まれていますし、といなす正岡氏。

高柳さん、って説明無しなので、それが高柳重信のことだってわかったのは、何人いたんだろうかって感じで飛ばす二人なのだった。ちょうど運良く、高柳重信全集を通じて戦前戦後の俳句史にある程度の眺望は得ていたので、なんとか話についていけて良かった。

連句はどうでしょう、という流れから、連句は「表現」指向じゃなくてコミュニケーションのためのジャンルだ、という話に。そして、表現としての短歌を商業ベースに乗せることに可能性が感じられない、と告白する枡野さん。むしろ、本業は別にあるような人が短歌を作るということの方が可能性があるのではないか、と。個の表現ではなく、コミュニケーションの媒体としての短歌、という方向性。

そんなこんなで、かんたん短歌blogも行き詰っている感じがするとか、そんな話に。
かんたん短歌blogも題詠なわけだけど、そこから「題詠の病」という話になり、題に反応するという書き方の受動性に限界があるのでは、みたいな批判に話が及んだ。けれども、戦後、短歌の革新が社会変革につながるのだと考えた人からすれば題詠なんて個が無くなるわけで否定されただろうなんて話しだけで終わってしまい、題詠の問題では議論はあまり深まらなかった。

そもそも、連句の源流の連歌は短歌から派生したものなわけで、連句的なコミュニケーション指向と、近現代の出版メディアと結びついたものとしての「個の表現」を指向する短歌の傾向とは、シームレスに結びつき得るものではないかなあとも思う。

今の短歌ブームの帰趨は、突出した作家が続出したあとで、気軽に短歌をはじめたたくさんのひとが、歴史を負った優れた表現を鑑賞しつつ短歌を媒介としたコミュニケーションの場をいかに形成できるかどうかで分かれるという気もするのだけど、そういう意味では「題詠マラソン」って、「表現とコミュニケーション」を結ぶとても良い場所になってるんじゃないかという気もします。

そういば斉藤斎藤さんの「みんなぼっちの短歌」という評論もあったよなあ。このあたりいろいろ考えると難しい。

あと、海外詩の紹介という面が今の日本では欠落しているという話で、集英社の『世界の文学』というシリーズの「現代詩集」がまとまった仕方で海外の詩を紹介した最後だろう、と正岡さんは語っていた。

[ http://yonosk.at.infoseek.co.jp/guide/shu77.htm]

批評の巻もある、と正岡さんが一言おっしゃっていたので

読むという生き方

読むという生き方

の中に、件の集英社の全集の「現代評論集」の刊行当時レビューが採録されていたのを思い出したのだった。そんなこんなで、説明抜きで情報がつまった話だったので、逆に聞きながらいろいろな仕方でいろいろなことが符合していくという楽しいセッションだった。

(2005年7月29日 mixiから転載)