虹の絶巓/塚本邦雄追悼

タダ コノマボ ロシノモニフクサン

これは、高柳重信の句集『伯爵領』の扉に刻まれている言葉で、電文を装った上でヴィリエ・ド・リラダン伯爵の言葉として引かれている。これについて、塚本邦雄は「他界からの飛電碑銘の暗澹たる翹望が私の心を打ってやまぬ。」と書いていた・・・・。


先日、ネットを介して、1972年に出された『高柳重信全句集』を古書店から購入した。函が無かったのでちょっと安かったのだ。

別刷りの「覚書」は折り込まれたまま残っていて、そこに塚本邦雄も文章をよせていたのだった。

「『蕗子』に憧れてその異父弟さながらの第一歌集『水葬物語』を、特に乞うて上梓の労を請願し、彼の手によって公刊の機会を得た・・・・」と塚本邦雄は書いている。重信は自ら印刷機と活字を購入して『蕗子』を印刷したそうだが、『水葬物語』も、同じ印刷機で刷られ、同じ装丁者の手によって、似たような和とじの体裁の書物として作られたというわけだった。

高柳重信は、はじめ、恵幻子、という俳号を使っていた時期があって、塚本邦雄はこの俳号にこだわっている。「重信は恵幻子の名を葬ると同時に、幻を己が属性として見事に飼い馴らし、ある時は彼自身が幻に変身しようとすることすらあった。」

塚本邦雄は、自ら幻と化することは自身の夢でもあったと告白しつつ、それがこの上も無い虚妄であることも自分は知り抜いている、と続ける。
そして、塚本邦雄は、高柳重信の歩みに、「幻を見すぎ」「狎れすぎた」ことからくる罪悪感、「現こそ幻にほかならぬものを、さらに二重構造の幻の檻を設へ、ここへ韜晦しようとする甘い誘惑への断罪」を求める「処罰願望」を見ている。

「滅亡へ滅亡へ雪崩落ちてゆく今日の世界には、特に禁断と謳うべき地域も、つひの栖ににつかはしい地獄もない。言葉そのもの定型詩そのものが腥くみだりがはしい煉獄であった。」という言葉は、重信について語る言葉である以上に、塚本邦雄が自身に差し向けた言葉でもあったのだろう。そしてこの診断は、滅亡という言葉の実質に多少の食い違いはあろうとも、本質において、21世紀においても、過去のものとはなっていないのだろう。

塚本邦雄が発した「反写実」のマニフェスト「短歌考幻学」も、高柳重信にたいする緊張をその裏側において読むべきだろうか。

  此の世に開く柩の小窓といふものよ     山川蝉夫