ハリー・ポッターの登場人物人種比率を左右している文化的政治的な背景を考える

同居人が地上波での初上映を楽しみにしていたので録画しておいたハリー・ポッターの映画一作目を一緒に見た。

なんだかダイジェスト版みたいな感じで、これだったら連続TVシリーズとして制作した方が良い気もしたけど、市場の現実がそれを許さないのだろう。まあ、本のダイジェストだからあれはあれで良いのかもしれない。合成とかCGとか、幾分雑な気もしたけど、つくりものめいた質感がファンタジーとしてはほどほどなのかもしれない。

さてさて、以下が本題。駅で急ぎ足でハリーにぶつかりそうになる男性が黒人であるのはまあ良いとしても、魔法学校の生徒に一定の割合で黒人の子達がいるのは何故だろう。それでいて、アジア系の子供の姿は見えないのである。

イギリスだったらインド系の人もかなり居そうなものだけど・・・。そんなことが気になったのだった。

正確な知識は無いので、一応ちょっと調べてみる。

UKNOW
によると、

1999年の時点で、英国の人口の6.8%は非白人の人種集団で構成されていました。その中で最大の人種集団は、インド人(1.7%)、パキスタン人(1.2%)、カリブ系黒人(0.9%)、アフリカ系黒人(0.7%)、バングラデシュ人(0.5%)、中国人(0.2%)でした。


とのこと。

単純な人口比からいったら、ハリー・ポッターに黒人と同じくらいのインド系、パキスタン系の子供たちが出ていてもおかしくないわけだが、私が見た限りでは、全然目に付かないのだった。

見直して確かめるつもりも無いのだけど、どうして白人の子達にまざるのが黒人の子達だけなのかな・・・と、ふと考えてみたことを少々書き付けておこうと思う。

軽く検索かけてみただけだが、この件についてふれているサイトはあまり見当たらない。
やっと、次のようなページを発見。

この映画が現代の作品だと感心させられるのは、主人公が男の子であるのはおくとして、級友には女の子と男の子が登場する。そして、パブリック・スクールでありながら黒人もいるし、サッカーのようなゲームは男女混成チームである。人種差別や男女平等へ、話の基本的な部分で目配りされている。
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というわけで、ポリティカリーにコレクトであるために黒人の子達にも出番が回ってきたという指摘。そんなところかな、と思う(それを手放しで誉めるべきとも思わないが)。

今回、ハリー・ポッター原作本のアメリカ版は、イギリス版とは微妙に違うということを初めて知った。基本的に、英国特有の言葉づかいを米語に直しているらしい。次のページには

http://www.google.ae/search?q=cache:UGgOQ95jrIUJ:plaza.rakuten.co.jp/fujishirodai/bbs/+%E3%83%8F%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%80%80%E3%83%9D%E3%83%83%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%80%80%E9%BB%92%E4%BA%BA&hl=ja

確かアメリカ版では、黒人の男の子が何かを言った、というような、イギリス版には全然ない文章があって、先生によれば、人種問題に配慮してこういう文を入れたのではないかということでした。

ということを書き込んでいる人もいた。事実を確かめるひまはないが、人種問題への配慮がアメリカ市場を考慮に入れたものだということは、確かにありそうだ。

ちなみに
ラティーノ!! 米国最大のマイノリティ
によると、

●米国のエスニック別構成比
 白人    69%
 ラティーノ 13.5%
 黒人    12.7%
 アジア系  12.1%
(2001年7月現在)

だそうだ。

ともかく、イギリスの現実をふまえて人種問題を考慮に入れるという理由だけなら、黒人以外の有色人種がもっと混ざっていても良い。ハリー・ポッターに出てくる黒人の子達の比率は、アメリカにおける黒人と白人の比率にむしろ近いかもしれない。それを考えれば、なおさら東洋系の子達の出番がもっとあっても良い気がする。

インド系やパキスタン系の子供たちがハリー・ポッターに出てこないとしたら、それは何故だろうか。

「魔術」のイメージにそぐわないから、というのが理由なんじゃないか、と考えてみた。

あの映画で出てくるのは、錬金術とか、魔女とか、ヨーロッパにおける魔術のイメージなわけだけど、インドとか中国とかの文明を連想させる登場人物が出てくると、もっと別の魔術を習うほうがふさわしいというような、なにかそぐわない印象を与える、ということなんじゃないだろうか。

逆にいうと、今の欧米の子供たちにとっては(大人もそうかもしれないけど)、黒人がヨーロッパ系魔術を習うことには違和感がないということなのかもしれない。アフリカやカリブ海には、いろいろヨーロッパ的ではない魔術の伝統があったはずだけど、そういうイメージは前面には出てこないということだろうか。そして、いまや黒人は、白人文化に融和しているのである、と。

しかしだ。そもそも魔術というのはヨーロッパにおいても「異教的」つまり「非キリスト教的」なものだっただろう。たとえば、魔女のイメージはキリスト教以前の土着の信仰を反映したものだ(カルロ・ギンズブルグの研究とかあったはず)。その一方で、錬金術を辿っていけば、アラブの文明を経由して地中海の古代文明の世界につながっているはず(google:ヘルメス文書とか)。このあたりに、ヨーロッパの異教的想像力の領域に黒人の子達が入り込んでいくことに違和感を感じさせない文化史的な理由があったりするのかもしれない。