水上アートバス

http://groups.yahoo.co.jp/group/euterpe-ts/message/290
に告知した企画を見てきた。

水上バスに乗るのははじめて。
15分ばかり早くつくと、すでに切符売り場に列ができている。ちらほらと海外からの観光客もみる。
乗船を待つデッキで、なぜかピンクフロイドの「クレイジーダイヤモンド」がかかっている。ひるまのこんなのどかな場所に不似合いなような、ミスマッチのような。有線なのかな。それにしても、職員の趣味を感じるなあ。

肝心の企画は、ドラァグクイーンばりに付けまつげばっちりの濃いメークに、なんていうのかピンクのレースを膨らませたドレスといういでたちのたかぎまゆと、タキシードというのかそういう類の礼服にシルクハット、大きな四角い皮の鞄をもったおのでらんが、水上バスのあちこちを行ったりきたりするという楽しげにも散漫なかんじのものだった。考えてみると、純然たるダンスはほとんど無かったなあ。

ダンスステップの教本にあるような足型をフェルトで切り抜いたものを用意していて、床に貼り付けてゆき、観客にも渡して貼り付けさせたりして、無理なステップをしてみるなんてパフォーマンスもあった(私は天井に貼り付けてみた)。

そのあたり、観客参加型的な楽しみを提供。

わきあいあいと楽しめる時間ではあったけど、純然と観光したい人
の邪魔にはならない程度に、雑然と楽しげな見世物を披露してみせたというところなのかな。

2000年のアビニヨン演劇祭でニブロールの一行が宣伝として路上パフォーマンスをしたときに、まったく映えなかったことを思い出した。浴衣を着込んでチン問屋風に練り歩いて日本から来たことをアピールするのが関の山だったのだった。

ステージで求められること、路上でもとめられることとの大きな違いがあるはずで、それは別の技芸を必要とするはずなのだ。それは優劣の違いではなくて、住処の根本的な違いだ。

秋葉原TVという、ビデオアートを秋葉原電気店においてあるテレビに映そうという企画を見て歩いたときにも感じたけれど、日常の場にアート作品を置こう、という企画は、よほどアイデアと方法論をかためておかないと、成功しないと思う。それを見に来るファンは、現場よりも作品に集中したくなってしまうし、通りすがりに見るひとは、ものめずらしさをひと時感じるだけだろう。