フィリップ・ジャメ「ダンスする肖像 日本編」

東京日仏学院でフィリップ・ジャメの「ダンスする肖像 日本編」上映会を見る。

世界各地の様々な人(プロのダンサーではない人々)に、愛の出会い、幸福、不幸、恐怖、などといった言葉から考える事柄についてインタビューし、それらの感情を身振りで表現してもらって、その様子をビデオにおさめるというプロジェクト。

日本編のビデオとブラジル編のビデオ、そして、日本、ブラジルに加え、アジア・アフリカ・ヨーロッパなど8カ国の様々な人々が「いままでもっともすばらしかった最愛の人との出会い」を身体で表現した姿を編集し、音楽も流して一本にまとまたビデオを見た。

思い出や感情を、身振りで表現できる、ということは、どういう事なのか。おそらく、幼稚園や小学校などの初等教育に、リトミックなどモダンダンスのベースになったような身体技法の影響が及んでいるということや、映画やテレビドラマなどでの演技法が広まっているという事、つまり、近代的な身体表現の理念と技法が、単なるイメージという形であれ広く共有されている、という事ではないか、と思った。(もちろん、社会的身振りそのものの伝統や、民衆的なダンスの伝統などもそこに反響してはいるのだろうが。)

もちろん、国別に様々な違いが見えてくるし、人それぞれに違いもあるのだが、むしろ、様々な身振りの根底にある、カメラを前にした身体表現を可能にさせているものの共通性が見えてきた。

それにしても、一人一人のインタビュービデオでは、とりわけ日本編では、ある種の緊張や装った感じが生々しく伝わってきて、ある種の恥ずかしさを見ている私も感じてしまったのだけど、それが、一つのテーマによって一本にまとめられ、音楽を付されると、まるで一つの振付作品のように見えてきた。
これはマジックだ、と思った。

一本にまとめらて、音楽がついて、一人一人の人間の生々しい存在感が背景に退くと、そこから身体の微細な動きの魅力が浮かび上がってくる。様々な人の異なった身体が一つの連続として見えてくる印象がある。ある種のダンサーの技術というのは、そのような多面的な身体性を自分固有の身体の内に具現化する事にある、と言えるのかもしれない(同じことが振付の技法にも言えるのかもしれないが)。

(初出「些末事研究」/2010年3月12日再掲)