劇団とっても便利の「オペラハウス」

 「とっても便利出版部」から出た本(マルクス関連だったり、ゴダール関連だったり)をみて、なかなか面いことをやっている人たちなのかな、と前から気になっていたので見に行ってみた。内容的には特筆するべきこともない。サスペンスある展開が、最後には意外な解決をみるというプロットにラブロマンスが絡んだりするというもの。セクシャリティの問題とかを扱う作品もあったりするようなので、内容的には、あまりこの劇団「らしく」ないテーマを扱っていたそうなんだけど。
 エンターテインメント志向のミュージカルで、スタイル的にも特に目新しいところはなかった。というより、スタイル的には保守的といっても良いのかもしれない。いかにも誇張的な演技が、喜劇的な様式化としてみても古くさいようにも思う。
 学生劇団から出発して、オリジナルのミュージカルを一定のクオリティで実現しているのは、それなりにすごいことなのかもしれないなあ、という所。しかし、ミュージカルのように模範が見えやすいジャンルだと、拙さも逆に目立って見えてしまう。
 プロになりきれていない歌やダンスを見ていると、歌というものがもっている力はなんなのだろう、というような事を考えてしまう。自然には無い秩序がそこから立ち上がり、世界が開かれるような歌の力というのはなんなのだろう。陶酔をさそう洗練されきった歌には、そういう疑問を引き起こす力はないだろう。だとしたら、そんな素朴な歌の力を生かす様式というものもあるだろうが、既存のスタイルをそのまま受け継ぐ演出では、それが拙さとしてしか見えてこない、ということだろうか。
 主宰の大野さんの関西弁による演技はなかなか面白い存在感を放っていて、大阪弁で全編やったらもっと面白い、嘘くささのないリアリティが醸し出されたりするんじゃないかなあ、と思った。私自身、翻訳体の標準語による新劇のシナリオやそれに適応された演技がもっていた、独特の人工性というものについて、それが未だに払拭されないことについて、批判的に語れるようになりたいのだが。

 終盤の舞台を見ながら、この舞台は、今年の5月ころ見たゴキブリコンビナートの「ゲノムの見る夢」だったか、ミュージカルと銘打った作品のことを思い起こしていた。もちろん、片や社会からアンダーグラウンドな世界に逸脱して汚泥まみれになってミュータントと化すサラリーマンの恥辱に満ちた物語、片や、地方都市でオペラの上演がしたい夢に憑かれた男の心温まる物語、と内容的には全く正反対。視覚的にも、片や工事現場をモデルとし、片やオペラハウスや骨董品店をモデルにすると正反対で、ゴキブリはミュージカルのパロディをしていたのだが、こちらは本格的ミュージカルの実現をめざしていると正反対だ。
 しかし、どちらもミュージカルのスタイルや新劇以降の演技のありかたをベースにしていて、モデル(模範)としてのミュージカルには、同じ程度離れた距離から向き合っている。作劇術の上でも、社会的現実を適度に援用しつつ背景を描きながら、サスペンスやどんでんがえしといったプロットに訴えている。
 まあ、そんな風に類似点を数え上げれば、どんなものでも似ていると言えるわけなんだけど、「ゴキブリ」と「とっても便利」は、どちらも現代の演劇的なものの中に同じような位置を占めていて(その場所を成り立たせているものへの根本的な批判は志向しておらず)、違いがあるとしたら結局のところ、趣味のありかた、その方向性の違いだけなんじゃないか、と思う。
 そんな事を考えながら、ペピン結構設計の公演がある横浜STスポットに向かった。見た日は同じだけど、便宜上日曜の日付で書くことにする。

(初出「些末事研究」/2010年3月11日再掲)