具体性の現代ダンス ニブロールに向けて

明日の土曜日の夕方6時過ぎには、多摩美大の上野毛後者でニブロールの新作が上演されるので、暇な人は見に行きましょう。ポストダムタイプの声もあがるニブロール。今年は千年文化芸術祭でも作品賞を取ったそうだ。最近のダムタイプの舞台が、身体を舞台に乗せる必然性を一切欠いたものになり果ててしまっているのに比べれば、ニブロールの舞台は、現代日本に生きている身体のあり方を舞台にダイレクトに反映させることに成功している。
それを、リアル、という言葉で呼ぶのには、すこし躊躇を覚える。舞台上にあるものは、虚構であり、虚構としての現実に他ならないからだ。空想的な舞台も、舞台としては現実であり、リアリスム演劇も、虚構として現実である。
ニブロールのダンスは、よく「演劇的」だと呼ばれるが、それは誤解だ。「演劇」の概念が日本では希薄だから、そんな感想が漏れるのだろう。だから、ダムタイプの作品も、演劇的なものの核心を捉え損なって、単なる折衷に堕落してしまうのだろう。

ニブロールの舞台は、ダンス作品であり、それは具体的な身体と、具体的なテーマを持ったものだ。

(初出「今日の注釈」/2010年3月15日改稿の上再掲)